連載小説
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前編
木の葉が色づき、それと鮮やかに成る木の実は地面の上に落ちぱっくりと割れて中身をさらけ出す。それが乾燥するのを待ってから収穫されたものが作物の育たない雪の国では、貴重な食料だった。齧ると甘い果肉が体温のこもった唾液の中で溶けて広がり、疲れを癒すと言われている。

 短い夏のわずかな日の光を浴びて、針のように細い葉を纏う大木の影は島の中心を覆い、長い冬の雪から人々を守っている。

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 中央には全体をすっぽり覆ってしまうくらい大きな木が生えている。その影に押し入るように集まって、地上、地下、幹の中に様々に棲みかを作っているのが、僕たち、獣人の群れだ。
 虫食いだらけの状態でも、寧ろ、生き物達の老廃物を吸収してたくましく根をはっているのは、すごい生命力だと思う。

 これから語るのは、僕こと獣人のナムと後から出てくる獣竜のラムさんとの小話。

 木の実栽培の仕事を学ぶためにこの島へ越してきた時は、身も心も凍りつきそうな冬の長さに辟易していた。なるべく屋外にいる時間を短くして、少しでも長く暖炉に当たろうとする生活だった。一緒に過ごす誰かとは知り合わず、ひとりで静かに暖炉の炎を見つめる時だけが心休まる時間だった。
 ある時、ラムさんが向かいの家に越してくると僕は驚いた。彼女は郵便配達員で、よく僕が手紙を受けとる時に顔を合わせていたからだ。吹雪の日も暑い日差しの日も変わらず、去る前に少し話をしてくれる獣竜だった。
 朝出ていく時間が一緒の時が多く、家に手紙を配達してくれた時と同じようにラムさんから話しかけてきてくれた。
 他人に気を遣っていて、疲れないのか聞いたことがあったが、意外と八方美人ではないようで、ナムくんはかわいいからと話を反らされた。




 他には、木の実がよく育つためにする間引きや剪定が難しいことや、自分で育てて収穫した木の実がずっしりと重く感じられることとかを、空を見上げながら話した。ラムさんは、穏やかにそれが凄い事だとほめてくれたり、美味しい木の実のパイをつくるコツを嬉しそうに話してくれた。

 帰り道をラムさんと歩き、大木のところで別れるまでの道のりでとめどなく言葉を交わしていると、いつの間にかそれは仕事が終わった後の習慣になっていた。
 

でも、ある時、吹雪の季節が長くなって、木の実の収穫を前倒ししなくてはいけなくなり、帰宅時間が合わなくなってから、ラムさんとの関係は不安定になった。


「ナムくん最近あんまり同じ時間に帰れなくなったよね、せっかく一緒になっても少し話しただけで帰っちゃうし…」
「…ごめん、仕事が忙しくってさ。ほら、最近吹雪いて風が強いでしょ?おかげで予定が前倒しになって、やることが立て込んでてさ。僕は人一倍仕事ができなくってさ、終わるのに時間がかかっちゃってね」

「それって大丈夫なの?いじめられたりしてないの?」

「いやぁ…まぁ正直きつくもあるけど…しかたないよ。
今年は不作だったし…いじめはないし…うん、大丈夫」

「…仕事押し付けられてない?ほんとに大丈夫?私に何か出来ることがあったら、言ってよ、ほんとに」

「うん…ありがとう大丈夫だから、えっと、ラムさん。今日は、一人で帰っていい?」

「え…?」

「ごめん、もう疲れてて…眠くて…元気になって仕事が落ち着いたら、また話そう?」

「わかった、無理だけはしないでね…」




少し遠くに見える街灯の光から目を放し、横を向くとラムさんは地面を見ていた。
僕は「またね」とだけ言って並木道の奥へと駆け出した。
僕はどんな顔をしていたのだろう。


その翌日、彼女から励ましの手紙と一緒に木の実が一個届いた。けど、とても返事を出せる気になれず、疲れの溜まった体をベッドに横たえた。次の日も、また次の日も、朝の支度をしながら虚ろに手紙の文面を眺めるだけだった。


 それから、木の実の収穫が終わり作業が一段落したころのある夜、疲れの汗が染みる毛布に包まれながら、ふと思い出した。

『もう…どれくらい、経ったんだろ…』

あの日以来、朝起きるのが辛くなったように感じた。
もらった木の実は、冷蔵庫に入れるのすら忘れて、気づいた一週間後には黒ずんでいた。
ラムさんの気遣いを無下にした。そう思ってまた自分を責めた。

丸一日仕事を休んで、気を紛らわそうともした。
友達と話して別れた後。
帰りに寄った洋菓子の店でシナモンの香りがした時。
机の引き出しを開けた時。
朝一番に起きて、カーテンを開けた時。
ラムさんのことを思い出す一瞬が多すぎた。

いつどこにいても、ふとしたきっかけでラムさんの顔が脳裏に浮かんだ。



 机のランプの薄明かりの隅にラムさんの手紙の端が照らされているのを見ると、胸が苦しくなった。その苦しさに耐えればいつか、ラムさんに会いにいける時が必ず来ると慰めても、そう思った途端にラムさんとの距離が永遠に縮まらない様に感じられた。
 ラムさんに嫌われてやしないだろうかと、嫌われてるなら手紙の返事を返さない方が良いのでは、いっそ忘れてしまった方が良いのでは…嫌な予感が膨れ上がり、動けなくなってしまう時間が多くなった。
 不安を追い払うのに精一杯で、しだいにラムさんのことも嫌になってしまう、そんな予感に恐れおののく日々が過ぎた。



 ある日僕は、松の木の温かい幹に寄りかかりそっと目を瞑っていた。
その日は休日で、雲が薄く日が照りつけていた。暖かい空気の中で足を運ぶことができた。
 朝、ラムさんから手紙が届いた。

『久しぶり、元気にしてた?ナムくん。この前のことはごめんね。ところで…今日って何の日か覚えてる?もし思い出してくれたなら、久しぶりに、クリームシチューを作るんだけど…良かったら来てくれない?
沢山…ご馳走するからさ…』
 手に取ったとき、夢かと思った。その日は、引っ越しのあと、ラムさんと郵便配達以外で初めて出会った日だった。

 胸の奥の記憶の中でラムさんのはにかむ顔が浮かんだ。煉瓦の家の道で歩いた彼女との帰り道を思い出して、少しほっとした。

 心の底から歓喜の熱が込み上げてきた。日々の出来事の中に埋もれていた黒い闇が振り払われ、どこか遠くへ消えさったように、今までの緊張が溶け、何かに包まれ守られているような気持ちがした。

**


扉をノックすると、握った手が開かない内に素早く玄関の扉が開いた。ラムさんは待ちわびたように穏やかな笑顔で、僕を冷たい風の当たらない暖かい家の中へ迎えてくれた。

『ほら、上がって上がってっ…』
ラムさんは、枯れ草色のエプロンを身につけて、支度をしている途中のようだった。
ドアの外に乗り出して、栗色のフサフサとした大きな手で僕の背中を押し家の中に招き入れてくれた。

すぐ僕は、ラムさんの家に招き入れられる喜びに心奪われ、いそいそと靴を脱いだ。

「ナムくん。心配したんだよ…。もう私の事嫌いになっちゃったんじゃないかって。」


涙ぐましい声でラムさんは僕に喋りかけていた。

「僕もだよ…」

「…え?」

「あのとき、仕事の愚痴ばかり言って、…もしかしたら僕のこと嫌に思ってるんじゃないかって…思っちゃって。」

「…そんなことないよ?仕事の愚痴なんて友達にしか話せないし仕方ないって。」

「…僕、自分の事ばかり考えてたよ。ごめん。」

「…そうなんだ。私も、ナムくんには嫌われてて、もう来ないかななんて思っちゃってた。でも、ほら、ナム君はちゃんと来てくれた。約束を守ってくれた。私も待ってて正解だった。水に流すよ、お互いにさ」

「…いいの?」

「いいよ。さ、中へ入ろう。外は寒いから」

「…うん。わかった。」



久し振りに入ったラムさんの家の中は冬ごたつの様なもくもくと湿った暖気で溢れていた。寒さで凍えていた僕の体を包み込み、じっとりと首回りを撫でるような心地がした。

ぐつぐつ…とんとん…
包丁を叩く音、何かを煮込む音…様々な調理音が交わり、湯気が煙の様にあちこちで上がっている。
キッチンとリビングが合体した部屋の中は、
豆球の色が染み渡り、部屋の隅々に火の子の先っぽの様にゆらゆらと薙いでいた。
ほの暗く暖かい隠れ家の中で、今までにない温もりを感じて幸せな気持ちになった。



「自由にくつろいでて…もうすぐできるから。」
『うんっ。』





リビングの入り口の前にぼーっとつっ立っていると、濡れた雑巾の上に鍋を置き、ラムさんがテーブルのそばに僕を手招きした。

ラムさんは小麦色の体毛と左曲がりにピンと張ったクセ毛が特徴的な竜だった。

ふかふかの絨毯に座って、くつろいでいると部屋の雰囲気に直ぐ慣れて、記憶の隙間から覗いていた懐かしさがよりいっそう深く感じられた。
メラメラと燃え上がる暖炉と床に置かれたランプで彩られた透き通った炎の色が、窓の外の白い雪景色を溶かして、暖かい物に変えているような感じに思えた。
『出来たよ』


ことっ。

目の前の木製の深皿に盛られた熱々のシチューが、緊張で固く結ばれていたナムの口元を緩ませる。トロリとしたシチューに絡まるジャガイモが湯気を発する。

『ほら…冷めないうちにっ』

大好きな具材を巻き込みスプーン一杯に掬った。
きつね色に仕上がった木の実の、食欲をそそる甘いオニオンの香り。

―――ぱくっ
それは一気に口の中で広がり濃厚なミルクの味わいが広がった。具材が口の中でどろりと崩れ喉に流れていく。

口のなかに広がる玉ねぎの甘い香りが心地良く、幸せな感覚とヒリヒリとした熱が喉元を通りすぎる。
ジャガイモを齧るとほくほくとした食感とシチューの甘さが舌先を包んだ。



飲み物を沸かした灰色の湯呑みをふたつ、お盆に持って横に座ったラムさんは、落ち着いた手つきで湯呑みを手渡して来てくれた。
小さい煙突のような湯呑みから白い湯気が漂っていて濃い草色のお茶が入っていた。こくりとお茶を呑む音と舌から喉へ腹へと落ちていく甘味と熱さが心地好く体に染み込む。
『美味しい…』

笑顔でそう言うと、ラムさんはとても嬉しそうに微笑んだ。

それからがつがつとシチューを平らげて、手を合わせ挨拶を済ませると、僕は食後のほんのりとした眠気と一緒に、腕を広げたラムさんの懐へと身を預けた。

真夜中に辺りを照らし上げる蝋燭の炎の様にきらめく光がラムさんの瞳に宿っていた。


ナムにとって、そこは寝覚めの布団の中のように暖かく居心地の良い空間だった。
すでに長い時間そこに居たような懐かしく手放しがたい感覚と、押し潰されそうな眠気に屈してもよいと思えるような生温さが、目を閉じて深まる闇の中へナムを連れていく。



『ねえ、ナムくん……もう寝ちゃったかな…?』
すうっと寝息が立つ。
赤子の様に気の緩んだ和やかな寝顔を、彼女は美しい物を見るようにじっと眺める。
そうして、テーブルに置かれたナムが飲み残した湯呑みの中身に指を差し入れて、一回しすると、そのまま掬いあげるようにして、眠っている彼の、緩んだ口の中へ数滴ほど垂らした。

程無くして、ラムは腕のなかに眠っている彼に一息にフーッと吹きかけたが、人形のような獣人の瞼はぴくりともしない。睡眠薬の効き目におののきながら、唸る胸の奥と震えそうになる指先を押さえた。
ほうほうと息を吐いて整えるとそのまま抱えていって厨房へと向かう。




 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
心配そうに一時も目を離さずにそっと寝かしつける彼女はどことなく優しそうに見えた。ふかふかのベッドではない、硬いまな板の上に寝かせられたナムは幸せにほころんだ和やかな寝顔をしている。

棚の下にしまわれていた銀色の底の深い鍋を取り出し、雨水のタンクから水を注ぎ、コンロの上に置いた。そうして、鍋の前で深くため息をつくと、引き出しの中のマッチを取り、火をつけた。

まな板やボウルなどの道具、口に合うよう、味付けをするための調味料が種類別に入れられた袋。猪一匹を煮込める大きさの鍋。

中ぐらいの袋を引き寄せて、小麦粉を塗ろうとしたラムの手が止まる。
付き合いの深い友情を踏み越えて、共食いに走ることへの躊躇。
暖かい友達か、美味しい小動物か、種族の違いからずっと感じていた食欲がついにはじけそうだった。
容易く信じ込んだナムの純粋さにほっとした一方、あまりの可愛さにそのまま食べてしまいたい欲求も沸き上がる。自分が嫌になるような陰鬱な気持ちになりそうになる。

暖炉の周りを香ばしくする香辛料の匂いをかぐ。それは彼女が調理をする時間の前の習慣だった。スパイスの匂いに誘われ口の中に唾液が溢れる度、それを飲み込むくぐもった嚥下音が耳の中を小さく通り抜ける。

雪の並木道の中で一緒に行き帰りを共にするナムは自分にとって欠け代えのない友達。その友達を味見するのは、はたから見れば人食い、彼女からすれば“少し変わった”愛情表現というだけであった。


錆びた鉄格子の奥で竃の炎がごうごうと燃えて、自分におののく彼女の不安を燃やしていく。
晩餐はまだ始まったばかりだった。

20/04/07 03:19更新 / 水のもと
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