連載小説
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シーン26
 降り積もった新雪の上に点々と残された大きな足跡と小さな足跡。辿った先にあったのは――横一列に並んで雪原を行くベロベルトとキュウコンの姿だった。
 夜半から本降りになった雪も明け方には止み、徐々に天気は回復に向かいつつあるようだった。雲の切れ間から差す朝日を全身に浴びながら北上し続ける二匹。ニット帽、ミトン、ブーツの完全装備に身を包んだベロベルトが唐突に口を開く。
「……そうだ、コユキちゃん。昨日はよく眠れたかい? あの後は一度もトイレに立たなかったみたいだけど?」
 何やら恥ずかしいことでもあるらしい。頭の後ろに手を回して頬を赤らめるベロベルト。隣を歩いていた真っ白いキュウコンは声を弾ませる。
「えぇ、ぐっすり! 抜群の寝心地でしたわ、ベロベルトさんのお腹の上! チルタリスの羽毛にも負けない暖かさと柔らかさでしたもの! でも……」
「ありゃ!? でっ、でも……?」
 足をもつれさせた彼はガックシと肩を落とす。
「……やはり一番はカビゴンのお腹ですわ。あれは断トツです」
 真剣な顔で告白するキュウコン。遠くの雪山の頂を見つめた彼は唸り声を上げる。
「……なるほどね。うん、正直でよろしい。オイラも彼に勝とうとは思わないよ。一日に四百キロも食べたら胃袋が破裂しちゃうもの!」
 お腹を大事そうにさすりながら苦笑するベロベルト。彼女も同じ顔をする。
「本当ですわ! 一体全体どういう仕組みになっているんでしょうね、彼の胃袋は! 考えるだけで夜も眠れません!」
「ははっ、オイラもだよ! ……まぁ、アレだね。上には上がいるのが世の中ってものさ」
 下を向いた彼は白い息を吐き出すのだった。
「食べると言えば……改めて、ごちそうさまでした! とっても美味しかったですわ、ベロベルトさんに作って頂いた朝ごはん! まさか森の真ん中でフルブレックファストが楽しめるなんて思ってもみませんでした!」
 ペロリと口周りを舐めて満足の意を表明するキュウコン。頭の後ろで手を組んだ彼は鼻を高くする。
「えへへっ、お粗末さまでした! 美味しいものは食べるのも作るのも大好きだからね! お気に召したようで光栄だよ! お腹いっぱいになってくれた!?」
 マナー違反と知りながらもゲップを漏らした彼女は大きく頷く。
「うふふっ、もちろん! ……そう言うベロベルトさんはいかがです? 大食いコンテストで準優勝を狙えるほどの食べっぷりでしたけど!?」
 不動の一位が誰であるかは言うまでもなかった。食事の模様を思い出した彼女は吹き出してしまう。
「うーん、あれで腹三分目……いや、二分目ってところかな。このところ太り気味だから控えめにしているんだ!」
 耳を疑う台詞だった。全身の毛を逆立てた彼女は飛び上がってしまう。
「えっ!? あれだけ食べてもですか!?」
「そう! ビックリするでしょ!? ……あと一つ驚かせてあげる! ここに耳を当ててごらん!」
 立ち止まって手招きするベロベルト。もう片方の手でポンポンとお腹を叩いた彼は、口周りの食べカスをベロリと舐め取る。
「えっと……こうですか?」
 言われた通りにするキュウコン。ブヨブヨの分厚い贅肉越しに響き渡ったのは――雷鳴と聞き紛うほどの腹鳴だった。
「こっ、これって……もしかして……?」
 耳を押し当てたまま呆れ笑いを浮かべるキュウコン。彼は小さく頷く。
「そう! いわゆる腹の虫の音だね。実はもう腹ペコなのさ!」
 一歩下がってお座りの姿勢になった彼女は深々と頭を下げる。
「おみそれいたしました。本当に食いしん坊なんですね、ベロベルトさん!」
「うん、そりゃもう! ……進化して胃液も濃くなったんだろうなぁ。こんな具合に一瞬で消化されちゃうんだ。お陰様で空腹を感じない日はないよ。食べ物をこれに変える能力ならオイラが一番だろうね!」
 お気に入りのジェスチャーらしい。伸ばしたベロで三段の蜷局を巻いてみせるベロベルト。彼女は不憫そうな眼差しを向ける。
「お気の毒に。食べても食べても満足できないなんて……」
「あははっ! まぁ、もう慣れたけどね。そこは理性で我慢するのがオイラさ! ……と言いつつ、それができていないから、こんなだらしない体になっちゃうワケだけど!」
 ロール状に巻き取ったベロを喉奥に仕舞った彼は、全身の柔らかな贅肉をプルプルと上下左右に揺らしてみせるのだった。
「……っと、いけない。立ち話なんかしている場合じゃなかった。えーっと……こっちが近道だ。ついて来て!」
「はい! 頼りにしていますわ、ベロベルトさん!」
 彼さえいれば大丈夫! そんな彼女の期待は――十五分足らずで裏切られる。
「あの……ベロベルトさん?」
 もう我慢の限界だった。前を歩くベロベルトを追い抜いた彼女は回れ右をする。
「大丈夫ですか? 汗びっしょりですよ? ……うふふっ、昨晩もそうでしたけど!」
 事実なので反論のしようがなかった。荒い息を吐きながら両手を膝についた彼は顔を赤らめる。
「……ごめん、コユキちゃん。一分だ。一分だけ休ませて!」
 片手を上げながら懇願するベロベルト。お座りの姿勢になった彼女は即座に頷く。
「一分とおっしゃられずに何分でも休んでくださいな。失礼を承知でお聞きしますが……運動不足ですか、ベロベルトさん?」
 その場にへたり込んだ彼は正直に首を縦に振る。
「うん、この姿になってからは特に! ……ベロを伸ばしさえすれば大抵の用事は済ませられちゃうからね。動くのはトイレに行って帰ってくる時くらいだよ。たまに遠出する時も転がり移動だから、ブクブク肥え太っていく一方さ! ぐうたらな性格にも一層磨きがかかった気がするよ!」
 半年前まで飢え死にしかけていたのが噓みたいだった。ブヨブヨの分厚い贅肉を揉み回しながら幸せな気分に浸るベロベルト。一方の彼女は深刻な表情を隠さない。
「……でしょうね。思った通りですわ。どうか気を付けてください、ベロベルトさん。このままだと……贅沢病に罹ってしまいますよ?」
「へっ? ぜっ、贅沢病? 何それ? 聞いたことないんだけど?」
 目を点にするベロベルト。彼女は当たり前だと言わんばかりの顔をする。
「ないと思いますわ! 私も街に来て初めて知ったのですから! ……食べ過ぎや運動不足などの悪い習慣が原因となって引き起こされる病気の総称です。街では良くも悪くも豊かな生活が送れますからね。罹ってしまう者が後を絶たないのです」
 病気と言われて良い気分はしなかった。両手を離した彼は表情を硬くする。
「その贅沢病とやらに罹ってしまったら……どうなっちゃうの?」
「うーん、色々あるので一言では説明しにくいところですが……」
 難しい顔で首を傾げるキュウコン。やがてポンと前足を打った彼女は笑顔で口を開く。
「最悪は即死しますわ! 心臓がピタッと止まっちゃって! 突発的心臓発作、またの名をシアーハートアタックと言うそうです! うふふっ、カッコいい名前ですよね!」
 うふふっ、じゃないよ……! 左胸に視線を落とした彼は真っ青な顔をする。
「やだよ! そんな恐ろしい死に方! どっ……どうやったら罹らずに済むか教えて!」
 半狂乱で縋り付かれるも冷静だった。彼女はパッと前足を上げる。
「するべきは一つです。意識して体を動かすこと、これに尽きますわ。たっぷりと汗を流して体を引き締めるんです。防寒着もあることですし……冬眠中でも今日みたいに天気のいい日は散歩に出られてはいかがです? それだけで随分と違ってくると思いますわ」
 異議なしだった。彼はキュウコンの顔を指差す。
「それだ! 今日から取り組ませてもらうよ!」
 これから毎日でも歩きに行こう。彼は固く心に誓うのだった。
「……というワケで、ベロベルトさん! 私はこの辺りで! いっぱいお話できて楽しかったですわ! また会いに来ますね!」
 別れは突然に訪れるものだった。ベロベルトの両手を取りながら笑顔で挨拶するキュウコン。予想外の展開に彼は戸惑いを隠せない。
「えっ!? こっ、ここで!? まだ案内の途中だけど?」
 キョロキョロするベロベルト。彼女は大きく首を縦に振る。
「はい! ここで大丈夫です! 後は地図を見ながら行きますので! それに……」
 彼女は一呼吸置く。
「歩き疲れましたでしょう? 帰ってゆっくりお休みになってください。これ以上は申し訳ないですわ」
 そういうことか……。足元を見つめた彼は小さく息を吐くのだった。
「ははっ、ごめんよ! 頼りにならなくて! ……うん! それじゃあ、また! 楽しんで来てね、温泉!」
 ギュッと両前足を握り返された彼女は目を細くする。
「えぇ、楽しんできますわ! ……あれに登って一汗かいた後で!」
「えっ……ウソ……」
 ポカンと口を開けるベロベルト。二匹の視線の先にあったのは――この地方で一番の高さを誇る三千メートル級の高峰だった。
「だっ、ダメだよ、コユキちゃん! そんな危ない寄り道したら! 雪山を甘く見ちゃいけないよ!?」
「うふふっ、大丈夫ですわ! あれよりも更に高い雪山の上で暮らしていたんですよ、私?」
「あっ、そうだった。ならいいか……」
 彼は握りっぱなしだった両手を開く。
「いずれにせよ気を付けて! またね! いつでも歓迎するよ!」
「えぇ、それでは! ……あっ、ちょっとだけ待ってください! 最後の最後に一つだけ!」
 両肩にポンと両前足を乗せられるベロベルト。鼻息がかかる距離で顔を見つめられた彼は頬を赤くする。
「ちょっ、ちょっと! なになに!? 近いんだけど!?」
「ごめんなさい、すぐに終わりますわ! 少しの間だけ……目を閉じていてください!」
 これって……もしかして……!? ゴクリと生唾を飲み込むベロベルト。早鐘を打つ心臓の鼓動が彼の全身に響き渡る。
「えっ……!? こっ、こうかな……?」
「うふふっ、そうです! そのまま……じっとしていてくださいね?」
 目を閉じたまま頷くベロベルト。柔らかな唇の感触を想像して口をすぼめた――次の瞬間だった。
「ベロォォォォォン!」
「って、えっ……? んむむむむむぅ!?」
 異変に気付いて目を開けるも時すでに遅し。顔を思い切り舐め上げられた彼は、仰向けに押し倒されてしまう。
 間髪入れずにピョンと胸の上に飛び乗るキュウコン。慌てふためくベロベルトの側頭部をガッチリと両前足で挟み込み、そして――
「ベロンッ! レロンッ、ベロレロンッ! ベロベロベロォォォォォン!」
「うひゃぁぁぁぁぁっ!?」
 彼の掛け声を真似ながら、ザラついた細長い舌でペロペロと顔中を舐め回す。やがて唾液塗れになった彼の顔を見つめて満足げに笑った彼女は、突き出されたままの唇をペロリと舐めて彼の体から飛び退く。
「うふふっ! 引っ掛かりましたね、ベロベルトさん! ……昨晩の仕返しです! 舐められたら舐め返す、倍返しですわ! もっとも、こんなの数分の一にも満たないでしょうけど!」
 お腹を抱えてゲラゲラ笑うキュウコン。ムクリと起き上がった彼は恨めしそうな顔でベロを垂らす。
「……やったねぇ、コユキちゃん? 次に会った時は全身を舐め尽くしてあげるから楽しみにしておいで! 毛皮がふやけるまでベッチョリとね!」
 鼻先までベロを伸ばされた彼女は逃げるように歩き始める。
「きゃっ、恥ずかしい! そんなに舐められたら溶けちゃいますわ! ……というワケで、ごきげんよう! また暖かくなった頃に会いましょう!」
「うん、きっと会おう! 今度はブルース君も連れて来てね!」
「はい、必ず! それまでどうかお元気で!」
 風呂敷包みの行李を背負い直しながら宣言するキュウコン。両手だけでは足りず、伸ばしたベロまで左右に振った彼は、後ろ姿が曲がり道の向こうに消えるまで彼女を見送り続けたのだった。
「さぁて、今日から頑張るぞ! とにかく体を動かして汗を流さなきゃ! でも……!」
 ジュルリと舌なめずりするベロベルト。彼の顔に不敵な笑みが浮かぶ。
「まずはゴハンにしようっと! 腹が減っては何とやらってね!」
 そう呟くなり回れ右をした彼は大きく息を吸い込み、そして――誰もいない筈の雪原に向かって一喝する。
「出ておいで、君達! いつまで隠れているつもりだい!? バレバレだよ!」
「ふんっ、気付いていたか! 褒めてやる! ……行くぞ、お前達!」
 近くの木陰から大ジャンプして彼の目の前に躍り出たのは――彼女より一回りも大きな体を持つ、狼のような恐ろしい顔つきをした三匹の真っ白いキュウコンだった。
 バチバチと火花を散らし始める三匹と一匹。後方に控えるリーダー格と思しきキュウコンの顔を睨んだ彼は、口を真一文字に結んで身構えるのだった。
21/02/19 16:28更新 / こまいぬ
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■作者メッセージ
お世話になっております。こまいぬです。

……すみません。キリの良いところなのでワンクッション挟みました。
voreは次のシーンになります。ご了承ください。

コユキちゃん(アローラキュウコン)に顔を舐められたのは、ちょっとした伏線になりそうです。

今回もお読み頂きありがとうございました。

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