連載小説
[TOP] [目次]
シーン21
「レナードさんからは浅い洞窟だと伺っていましたが……随分と深い洞窟なんですね。びっくりしちゃいました」
 キョロキョロと辺りを見回しながら薄暗い中を進んでいくキュウコン。ゆさゆさと贅肉を揺らしながら前を歩いていたベロベルトの口から笑い声が漏れる。
「ははっ、そりゃリフォームしたからだよ! 最後にレナードさんと会った後でね! 進化して何かと不便に感じるようになったから、掘りに掘りまくって深い洞窟に作り変えたのさ。……こっちだよ、足元に気を付けて!」
 正しい方向を指し示したベロベルトは最後の分岐を左に進む。右に曲がった先は三つ目の食糧倉庫。たくさんの食べ物を蓄えておけるよう、収穫後の手持ち無沙汰な時間を利用して大改造していたのだった。最奥の居室から入り口までは、ベロを伸ばした長さとほぼ同じ。洞窟に迷い込んだ獲物をくつろいだ姿勢のままペロッと食べてしまうのに丁度いい深さに仕上げていたのだった。
 やがて焚き火の炎が揺れる明るい広間に突き当たる一行。洞窟の壁に背を向けたベロベルトは部屋の中央を指差してみせる。
「お待たせ! 足場の悪い中を長々と歩かせて申し訳なかったね! まずは焚き火にあたって……」
 そこまで言いかけた彼は口を噤んでしまう。
 忘れていた。彼女は氷タイプなのだ。焚き火になんかあたらせて良いのだろうか? ましてや熱いお茶なんか御馳走して良いのだろうか? とにかく聞いてみるしかなかった。焚き火の前に広げられたティーセットを見つめて考えを巡らした彼は顔を上げる。
「えっと……ごめん。コユキちゃんって暖かいのは苦手だよね? 焚き火は消して、飲み物は冷たいものを用意した方が……」
「いいえ、ちっとも! 別に寒いのが好きというわけではありませんの! 温かい飲み物だって大好物ですわ!」
 笑顔で返すキュウコン。最初で最大の関門を突破した彼はホッと胸をなで下ろす。
「あぁ、良かった! 凍え死なずに済みそうで助かったよ! ちなみに……大好物の飲み物ってなんだい?」
 まだまだ幼い子供のことである。渋いお茶など眼中にもないだろう。冗談交じりに返した彼はそれとなく尋ねる。
「うふふっ! ココアです! 虫歯になるから控えなさいって母さんから注意はされていますが……飲み出したらキリがないですわ! 濃厚で、甘くって、ほろりと苦くって……あぁ! 考えただけで涎が出てきちゃいました!」
 はにかみながら答えるキュウコン。彼は心の中でガッツポーズを決める。
「あははっ! 聞いているオイラも出てきちゃった! 美味しいよね、ココア! そんなコユキちゃんに朗報さ! いっぱい作って御馳走してあげるよ! 舌もとろける甘くて濃厚な練乳ココアをね!」
 レナードと取り引きして秋の収穫の一部を様々な食料と交換していたのが幸いだった。缶詰の練乳と銀紙に包まれた板チョコレートの存在を思い出した彼は、お座りの姿勢で両前足を頬に当てたキュウコンに微笑みかける。
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「うん! すぐに作るから待っていて! お湯もあることだし……って、へっ!?」
 吹きこぼれて焚き火が消えぬよう、小用に立つ前に少しだけ火から遠ざけておいた平べったいケトルを持ち上げた彼は目玉を飛び出させる。さっきまで熱湯だった筈が、すっかり湯冷ましになっていたのだった。
 チョコレートはおろか練乳すら溶けなさそうな温度だった。彼はケトルを片手に肩を落としてしまう。
「あの……どうされましたか?」
「いやね、さっき沸かした筈のお湯が冷え切っちゃっていてさ。ちょっと待ってもらえる? すぐに沸かし直すよ」
 前足を両頬に当てたまま心配そうな表情を向けてくるキュウコン。何とも格好の悪い話だった。もう片方の手でポリポリと頭を掻いた彼は伏し目がちに打ち明ける。
「あら、そんなの構いませんわ! お気になさらず!」
「悪いね、助かるよ! そういうワケだから、のんびりしちゃって! 荷物はその辺に置いといてくれて構わないからさ!」
 見るほどに大きな風呂敷包みの行李だった。数少ない空きスペースの一つを指し示した彼は足早に部屋の隅の水瓶へと向かう。
 どうせ沸かすのだから一緒だ。一緒に飲みまくっちゃおう。柄杓で掬っては入れを繰り返すこと数回あまり。ケトルを満杯にした彼は慎重な足取りで焚き火の前へと戻っていく。ポンと炎の上に置いたら後は沸騰するのを待つばかり。荷物を下ろして行儀よく座っていた彼女の隣にドスンと尻を落として胡坐をかいた彼は、相手の全貌を視界に入れる。
「ねぇ、コユキちゃん。一つ聞いてもいい?」
 半年越しの疑問だった。彼は改まった口調で問いかける。
「うふふっ、何でも聞いてくださいな! どんな質問も大歓迎ですわ!」
 九本の尻尾をフリフリと嬉しそうに振ってみせるキュウコン。すっかり心を許している証拠だった。
「コユキちゃんってロコン……じゃなかった。キュウコンで合っているよね? オイラの知っているキュウコンと少し違うんだけど?」
「うふふっ! キュウコンで合っていますわ! この地方では見慣れない姿ですから驚いちゃいますよね!」
 前足で口元を隠しながら笑うキュウコン。彼女の言葉に次なる疑問を抱いた彼は質問を重ねる。
「この地方って……コユキちゃんはどこから来たんだい?」
「ここから遥か南の海に浮かぶ島ですわ! 二年前までそこで暮らしていましたの!」
 どこかで聞いた覚えのある話だった。ラプラスに乗って何日間も海を南に進み続けた先に、島全体がフルーツの木で覆われた常夏の楽園があると――。風の噂は本当だったのだ。彼は大きな興奮に包まれる。
「あれ……ちょっと待てよ?」
 同時に新たな疑問を芽生えさせるベロベルト。腕組みをした彼は視線を宙に泳がせる。
「その島って一年中が夏なんでしょ? そんな暑い環境で氷タイプになっちゃうのは何故なんだい? と言うか……氷タイプで間違いないよね、コユキちゃん?」
 言いながら相手の体表に両手をかざすベロベルト。ひんやりとした冷気が焚き火の前でも伝わってくるのが分かる。
 答えは正解だった。彼女は大きく頷いてみせる。
「えぇ、合っていますわ! ……氷タイプになったのは、万年雪が積もる山で長らく暮らす中で独自の進化を遂げたという説が有力です。意外に思われるかもしれませんが、ここから北に行ったところに聳える山と同じで、たとえ常夏の島でも、高い山の頂上近くは雪と氷に閉ざされた世界になってしまうんです」
「へぇ、そういう進化もあるんだ! 面白いなぁ!」
 驚きの連続だった。ベロベルトは思わず舌を巻く。
「なるほどね。で、そこでコユキちゃんも暮らしていたんだ?」
 キュウコンは再び首を縦に振る。
「えぇ、もちろん! 私の家族もそうですし、ご先祖様もそうです! おとぎ話に登場するキュウコンが生まれるよりもずっと前から雪山で暮らし続けてきたと言われているんですよ!」
 一族が誇る悠久の歴史だった。彼女はエヘンと胸を張ってみせる。
「ちょっ、ちょっと待って!? それって……千年以上も前からってこと!?」
 指折り数えようにも手が二本では話にならなかった。彼は両手を見つめたまま硬直してしまう。
「うふふっ! それ以外にあります?」
 得意そうにするキュウコン。自信満々の様子だった。
「えぇっと……じゃあ、それより前の時代はどうだったの?」
「それより前は誰もいませんわ! 遥か大昔にこの地方から海を渡って島に移り住んだ番のキュウコンが私達のご先祖様ですもの!」
「う、うーん……?」
 いよいよ限界だった。小さな唸り声を上げた彼は怪訝そうな表情を隠せない。
「あっ! さては信じていませんね!? 顔に書いてありますよ!?」
 不服そうな声を上げるキュウコン。胸の内を見透かされてしまった彼は、決まり悪そうに頭の後ろへ手を回す。
「うん、ごめん! この手の話になるとちょっとね。別に疑うつもりはないんだけど……最後のくだりは流石に眉唾なんじゃないの? その瞬間なんて誰も見ていないんでしょ? おまけに元から住んでいた可能性だってゼロじゃないワケだ。何か証拠でもあるのかい?」
 そこまで言い終えた彼は胸の高さまで舌を垂らす。
「それはそうと、コユキちゃん! 君はベロだけで眉に唾を付けられるかな? ……ほぉら、オイラはこの通り! もっとも、頭から爪先までツルッパゲのオイラに眉なんてないんだけどね! あははっ!」
 ベロリ、ベロリと左右の目の上を舐めてみせるベロベルト。自慢の技を披露し終えた彼はクルクルと舌を巻き取って口の中へと仕舞う。
「きゃっ、凄い! 進化してもベロは長いままなんですね! びっくりしちゃいました!」
 興奮した様子で歓声を上げるキュウコン。ベロベルトの大きな口から笑い声が上がる。
「もぉ、馬鹿にしちゃって! 長いに決まっているじゃないか! そりゃぁ、なめまわしポケモンだもん! これで短かったら単なるデブになっちゃうよ!」
 言葉の最後で彼は巻物のように幾重にもロールされた分厚い舌をニュッと突き出してみせるのだった。
「……んむむっ、駄目です! これ以上は無理ですわ!」
 プルプルと震える薄べったい舌の先で左頬をなぞり続けるキュウコン。変顔になりながら奮闘するも、目の上はおろか、瞼の下にすら届かないのだった。やがて完全に諦めてしまった彼女は残念そうに首を左右に振るう。
「私の場合は前足を使うしかありませんね。こうやって唾を付けて……」
 軽く目を閉じてペロペロと足先を交互に舐めた彼女は、両前足を目の上に押し当てる。
「ぺとり! これが私流の眉唾です! ……うふふっ! 懐かしいですわ! 雪山で暮らしていた時分は、他の群れのキュウコンに化かされないよう、こんな感じでよく唾を塗りたくったものです! 子供騙しのように見えて、意外と効き目があるんですって、これ!」
「えっ? あっ……あぁ、そうなんだ?」
 つとめて平静を装いながら相槌を打つベロベルト。
 なんだかマズイことを聞いちゃったかもしれないぞ。仲間同士で対立していたということなのだろうか? 気にはなるものの、これ以上も話の腰を折るべきではなかった。疑問をグッと堪えた彼は話を元に戻しにかかる。
「おっと、ごめんよ! えぇっと……何の話だったっけ? 脱線させたオイラが忘れちゃったよ」
「私達のご先祖様がこの地方から移り住んだ証拠を見せて欲しい、という話でしたね! ありますよ! 証拠でしたらここに!」
 即答してみせるキュウコン。額に手を当てた彼の顔に明るい表情が戻る。
「あぁ、それそれ! ……って、へっ? どっ、どこにあるんだい?」
 指差したままキョロキョロし始めるベロベルト。キュウコンはにっこりと微笑んでみせる。
「こうして普通に会話できていることが何よりの証拠じゃないですか! 海外からやって来たんですよ、わたし!」
「え……」
 頭の中が真っ白になる感覚に襲われるベロベルト。やがてハッと気づかされた彼は危うく後ろに倒れそうになる。
「ほっ、ホントだ……! 二年そこらで完璧に覚えられるワケないじゃないか! ということは、この地方の言葉を最初から喋っていた……!?」
 狐に化かされた気分だった。真っ白いキュウコンは満足した様子で首を縦に振る。
「えぇ! もちろん、私の兄弟姉妹も父さん母さんだって同じです! これって、私達のご先祖様がこの地方から島に移り住んできた以外に説明しようがないんですね!」
「ごめん、コユキちゃん! 眉唾だなんて言って悪かった! 謝るよ!」
 両手を床について深々と頭を下げるベロベルト。彼女は再び両前足の肉球を目の上に乗せる。
「別に構いませんわ! 誰だって疑問に感じるハズですもの! ……うふふっ! 眉唾ですね!」
 ヌリヌリと楽しげに円を描きつつ、彼女はペロリと舌を出してみせるのだった。
「それはそうと……君のご先祖様も酷な選択をしたもんだね? その島の大部分って一年中フルーツ食べ放題なんでしょ? 雪山なんかに住み着いても不便なだけじゃないか」
 他所事ながら不満に思えてならなかった。彼はブスッとした顔つきで尋ねる。
「あっ! とっても良い質問です、それ! ぜひ説明させてくださいな!」
「おっ、そうなんだ!? それじゃあ、お願いするよ!」
 元気よく片方の前足を挙げるキュウコン。胡坐をかき直した彼は耳を澄ます。
「その理由ですが、他の誰かの居場所を奪うことを良く思わなかったからだと言われています。ご先祖様が海を渡った時代には、既に別の種族のポケモン達が島中に住み着いていたんですね。それで、他のポケモン達の迷惑にならない場所を探しに探した結果、雪山に行き着いたというワケです」
「……なるほど! そういうことなら仕方ないよね! うん、納得! 分かりやすい説明をありがとう、コユキちゃん!」
 いくらか脚色が入っているな。拍手喝采を送りつつも、弱肉強食の世界を生き延びてきた彼は冷静な視線を忘れない。
 誰もが羨む理想郷である。コユキちゃんのご先祖様が争奪戦に身を投じなかったとは考えにくい。雪山で暮らすようになったのは、在来種との縄張り争いに敗北を重ね、島の隅へと追いやられてしまった結果と見るべきだろう。彼はキュウコン一族の苦難の歴史に思いを馳せる。
「あら、どうなされました? 何か考え事でも?」
 我に返った彼は傍らのキュウコンに微笑みかける。
「いや、コユキちゃんのご先祖様は心優しいキュウコンだったんだろうなって思ってさ。誰もが見習うべき姿勢だよね」
「うふふっ! ありがとうございます! 私もご先祖様のように心優しいキュウコンになりたいものです!」
 決意を新たにした彼女に何度も頷いてみせるベロベルト。彼は少し複雑な気持ちになってしまうのだった。
「なれるといいね! でも……コユキちゃんの場合は特に意識しなくても大丈夫だと思うよ? 明るいし、活発だから、お友達を大切にするだけで十分じゃないかな? 街では楽しく過ごしているかい?」
 悪い意味で活発な面は直してね。初めて出会った日のことを思い出した彼は心の中で付け加える。
 その質問を待っていたところだった。キュウコンは満面の笑顔で首を縦に振る。
「はい! ブルースとは勿論のこと、みんなと仲良く暮らしています! ご飯だって温かくて栄養のあるものを一日三食お腹いっぱい食べられますので……毎日が天国のようです! 雪山で少ない食べ物を分け合って暮らしていた時とは大違いですわ!」
 ふくよかな体つきをしているワケだ。ベロベルトは大いに納得する。
「あぁ、お腹いっぱい食べられるのは大きいね! 野生じゃ難しいもんなぁ!」
 まぁ……毎日たらふく食べて、ブクブク太ってばかりのだらしない野生のポケモンが約一匹、ここにいるんだけどね! 分厚い腹周りの贅肉にブニュリと両腕をめり込ました彼は、小さなゲップを漏らすのだった。
「そうだ、ブルース君はどうしているんだい? 今でも一緒に冒険しに行ったりするの?」
 あれだけの腕白坊主である。きっと街の住民を振り回しまくっていることだろう。彼は皮肉交じりに質問する。
「彼ですが、今は街の警察が運営する学校に通っていて、お巡りさんになるための訓練を受けているところです。毎日ヘロヘロになって帰って来ますので、一緒に遊びに行く機会はめっきり減ってしまいましたね……」
 キュウコンは少し寂しそうな顔をする。
「えっ!? おっ……お巡りさんだって!?」
 予想の斜め上すぎた。彼は声を裏返してしまう。
「えぇ! 私も聞いた時はびっくりしましたわ! 彼ですが、例の一件で為す術もなく逃げ回るしかなかったのが本当に悔しかったそうで……悪い奴らに負けたくない気持ちから飛び込んだんです。今までに犯した罪を償う目的もあると話していましたわ」
「あははっ、罪だなんて大袈裟な! あれくらい腕白じゃなきゃ子供は務まらないよ!」
「いえ、そうじゃないんです」
 首を左右に振った彼女は表情を硬くする。
「彼ですが……施設に移ってくる前はスリと掻っ払いの常習犯だったんです。失敗して捕まりそうになった時に大暴れして傷害沙汰に発展させたこともあるとか……」
 途端にベロベルトの顔から笑みが消える。
「うーん……それは良くないね。何でもありの野生の世界じゃないんだから、最低限のルールは守って暮らさなきゃ。どうしてそんな真似を?」
 腕組みをした彼は首をひねる。
「極度の貧困が原因でしょう。聞くに聞けないので詳しい事情は知りませんが……ほんの数年前まで街の路上で盗みを働きながら暮らしていたそうなんです。親戚はおろか両親の顔も知らないと聞きました。話は変わりますが……下水道って知ってます?」
 キュウコンは声を落として尋ねる。
「あっ、知ってるよ! 街の地下深くに張り巡らされているウンチとオシッコの通り道のことでしょ? 街のトイレは全部そこに繋がっていて……最後は海に流れ込むんだよね?」
 そういえば、前にも似たような話をしたような? 誰と話した時だっけ……? ふと思い出すベロベルト。それが半年前に果樹の肥やしとなったブラッキーであることなど考えも及ばないのだった。
「あら、よくご存じで! ひょっとして……街での生活に興味あったりします?」
 両前足を鼻に当てた彼女は首を傾げてみせる。
「うん、そりゃもちろん! 安全な家の中で落ち着いてトイレできる生活なんて羨ましい限りだよ。お花摘みの最中を襲われてそのまま……なんて話、野生じゃ日常茶飯事だからね」
 まさかウンチした直後にウンチにされるとは夢にも思っていなかったろうなぁ……。彼は数年前に食した獲物の心境に思いを馳せる。
「それとあれでしょ? 街のトイレでは便器に腰掛けながら用を足せちゃうんだってね? 汚い話で申し訳ないけど……オイラって見ての通りのデブだから、しゃがんでウンチしていると膝が痛くって仕方なくてさ。いつか使ってみたいなぁって思いながら花を摘み続ける毎日だよ。……寒風吹きすさぶ空の下でね」
 両腕を胸の前で交差させた彼は全身を小刻みに震わせるのだった。
「うふふっ! 四本足の私は慣れるまで時間が掛かりましたが……いったん慣れてしまえば最高に快適ですわよ、あれ! 街へいらした折には是非とも体験していって下さいな!」
 あまり気にするタイプではないらしい。際どい話題ながら彼女は平然とした笑顔で応じるのだった。
「ありがとう! いつか体験させて貰うよ!」
 固く心に決めるベロベルト。そこまで言い終えたところで、彼は話を大幅に脱線させていたことに気が付く。
「えぇっと……ごめん。話を元に戻そうか。今度は覚えているよ。ブルース君の話をしていたら、いきなり下水道の話に切り替わったんだよね? この二つに何か関係が?」
「あります。大ありですわ」
 彼女は再び表情を硬くする。
「そこが……施設に移ってくるまでの彼の住処だったんです」
「えっ……!? すっ、住処って……!?」
 トイレ談議に花を咲かせた直後だけあって衝撃はひとしおだった。彼は絶句してしまう。
「うーんと……うん。少なくともオイラ達が住むような場所じゃないよね? なんたって……ねぇ?」
 言葉にするだけ野暮だった。彼はキュウコンの青い瞳を真っ直ぐに見据える。
「その通りです。でも……雨風は凌げます。おまけに中は暖かいですので、特に今の時期は凍えてしまう心配もありません。道端で寝泊まりするよりかはマシなんです」
「……やけに詳しいね? ひょっとして行ったことあるの?」
 声を潜めるベロベルト。彼女は小さく首を縦に振る。
「ブルースに連れられて一度だけ。暗くて、狭くて、生暖かくて、ジメジメしていて……足の踏み場もないほどに汚いヘドロが溢れ返る不潔な場所でした。彼は慣れっこみたいでしたが、私は翌朝まで嗅覚が戻りませんでしたわ……」
 やっぱり臭いんだ……。彼は鼻孔をひくつかせる。
「当時をよく知るベトベター達が教えてくれました。今は一匹もいないけれども、夜な夜なブルースと似たような境遇の子供達がゾロゾロと集まってきて、そこら中に折り重なるようにして眠っていた、と。寝床を巡っての取っ組み合いもしょっちゅうだったそうですわ……」
 そんな負の姿が街にあったとは……。信じられなかったし、信じたくなかった。彼は暗澹とした気持ちになってしまう。
「ごめんなさい、また話が逸れました。そして何よりも……窃盗を生業にしていた彼にとって下水道は都合の良い場所だったんです」
「ふむふむ。と言うと?」
 相槌を打った彼は次の言葉に神経を集中する。
「彼を擁護する気は毛頭ありませんが……盗むのはせいぜい少量の食べ物くらいだったそうです。そんなコソ泥を臭くて汚い洞窟の中まで追い掛けようと思うかと言えば……」
「なるほど、そりゃ思わないよね。大泥棒だったら話は別だろうけど!」
 キュウコンは小さく頷いてみせる。
「そういうことです。子供しか入れないような狭い水路も数多くあるそうで、中まで追跡されても振り切るのは簡単だったと聞きました。後は……その繰り返しです。迷路のような下水道の中を縦横無尽に駆け回りながら、街のあちこちで盗みを重ねていったワケです」
「でも、結局は捕まったんでしょ? でなきゃ友達になれていないもんね?」
 両手を広げてみせるベロベルト。彼女は再び首を縦に振る。
「そうです。街の皆が迷惑していることを知ったベトベター達に沈殿池……平たく言えば下水道の奥深くにあるヘドロの沼ですね。そこに他の悪い子供達と一緒に追い詰められ、一族の長であるベトベトンから直々にお仕置きされて施設に送られたんです」
「お仕置きって……具体的にどんな?」
「えっ!? 聞いちゃいます、それ?」
 両前足を頬に当てた彼女は顔を赤らめる。
「うん、だって気になるもん!」
「うふふっ! 分かりました! お話ししちゃいましょう!」
 悪戯っぽい笑みを顔いっぱいに浮かべるキュウコン。きっと屈辱的なお仕置きだったんだろうな。彼は大体の見当をつける。
「彼ですが……チューインガムにされちゃったんです」
「チュ……チューインガムだって?」
「そうです。食べたことあります? チューインガム?」
 突拍子もない発言に面食らってしまうベロベルト。彼はおずおずと首を縦に振る。
「う……うん。何度かレナードさんに分けて貰ったことがあるよ。いくら噛んでもなくならない不思議なお菓子のことでしょ? もっとも、オイラは噛む力が弱いから、ベロで捏ねくり返して食べるんだけどね」
 モゴモゴと口の中で舌を動かした彼は、最後にペッと吐き出す真似をしてみせる。
「はい! そこまでご存知でしたら十分ですわ! どんなお仕置きだったか……想像してみて下さい!」
「あ……あぁ……!」
 クチュクチュとガムを噛む仕草をしながら意味深な視線を送るキュウコン。全てを理解した彼はブルリと身を震わせる。
「うふふっ! そういうことです! きっと鼻が曲がったことでしょう!」
「うーん……ヘドロポケモンの口の中かぁ。さぞかし良い香りだったろうなぁ……」
 遠くを見る目になるベロベルト。因果応報とはいえ同情せずにはいられなかった。
「彼いわく……ブルースはとっても美味しかったそうです! そりゃそうでしょう。お風呂にも入れずに汗と垢に塗れた体のままずっと過ごしていたワケですから! 噛み締めて舐めしゃぶるほどに味わい深いチューインガムだったそうですわ!」
「うげぇぇぇ……コユキちゃん、ストップ、ストップ! 気持ち悪くなって来ちゃったよ……」
 しかめ面で舌を垂らすベロベルト。手で制された彼女はハッとした表情を浮かべる。
「きゃっ、ごめんなさい! 調子に乗りすぎちゃいました! この話はこれくらいで!」
「ごめんよ。聞くだけ聞いておいてからにね」
 ベロを口の中に戻した彼は小さな溜め息を吐くのだった。
「そのベトベトンとは知り合いなのかい? やけに生々しい話だったけど……?」
 彼女は少し難しそうな顔をする。
「知り合いと言いますか、何と言いますか……彼は私達が住まわせてもらっている施設のオーナーさんなんです。何なら昨日もお会いしたばかりですわ。必ず週に一度は私達の様子を見に来てくれますの」
「えっ、オーナーだって? お金持ちなのかい、そのベトベトン?」
 目を丸くするベロベルト。それ以上に驚いたのは彼女の方だった。真っ白いキュウコンの顔に困惑の色が浮かぶ。
「ちょっ……ちょっと待って下さい。ご存知ないんですか? てっきり知っているものかと……」
「うん、ごめん! ご存知ないから教えて!」
 潔く手を合わせるベロベルト。軽い脱力感に襲われた彼女は小さく息を吐く。
「お金持ちも何も……街で一番の大富豪ですわ。下水道を復活させたのも彼の一族なんですよ?」
「待った! 一つずつ整理させて? 復活させたってことは……そのベトベトン達が造ったワケじゃないってこと?」
 溜め息の連続だった。彼女は大きく息を吸い込む。
「……その辺りもご存知ないんですね。元はニンゲンが大昔に造ったものなんです。で、誰にも使われずに放置されて土砂に埋もれてしまっていたのを掃除して、壊れていた部分を修理して再び使えるようにしたのが今の下水道です。あれを今の技術で一から造るなら数百年はかかると聞いたことがありますわ」
「へぇ、ニンゲンが造ったものだったんだ……」
 ニンゲンかぁ。いつか食べてみたいなぁ。でも、もうどこにも生き残っていないんだろうなぁ……。ベロベルトは欲求不満を募らせる。
 失われた文明を復活させるべく、様々な方面から研究が進められている謎多き存在ながら、もっぱらの彼の関心は味だった。究極の美味との噂を思い出した彼はジュルリと舌なめずりをするのだった。
「……続けますわね? で、使用料を取って運営するワケです。どれだけの街の住民が使うと思います?」
 考えずとも答えは出た。彼は即座に口を開く。
「それって……ほぼ全員だよね? 水を使わない子なんていないでしょ?」
 使わない子もいるにはいるんだろうけど……。彼は心の中で付け加える。
「正解です。街のほぼ全ての住民が使っていますわ。ちなみに……ごく普通の食堂で、お昼ごはんをお腹いっぱい食べた時の代金が、おおよそ月々の使用料に相当します。……掛け算はレナードさんから教わったと聞きました。計算できますよね?」
「……待った。お腹いっぱいの基準はオイラの胃袋でいいのかい? これを満杯にしようと思ったら相当だよ?」
「そこは私の胃袋でお願いします! とんでもない額になってしまいますので!」
 モミモミと腹周りの贅肉を揉みながら意地悪な質問をぶつけるベロベルト。キュウコンは呆れた表情で補足する。
 街の住民の数、お昼ごはん一食分の代金、それが毎月……。天文学的数字とはこのことだった。計算を終えた彼の口から悲鳴が上がる。
「お分かり頂けましたでしょうか? 大富豪になるのも頷けるでしょう?」
「よく分かったけど……使っても使いきれない金額じゃないか。そんなに儲けてどうしようって言うのさ……」
 羨ましいを通り越して妬ましかった。顎に手を当てた彼は不満そうに呟く。
「ですから余ったお金を街のために使って下さっているんです。私達への支援もその一環ですわ。汚い話になっちゃいますが……たくさんの生ゴミが出され、たっぷりと用が足される活気に満ちた街こそ、彼らにとっての理想郷ですからね。全ては一族の繁栄のためなんだそうです。」
「なるほど、そういうことか。とどのつまり……コユキちゃん達は利用されているに過ぎないってワケだ。これをどっさりと産み落としてもらうためにね」
 伸ばしたベロで三段の蜷局を巻いてみせるベロベルト。彼女の顔に恥ずかしそうな笑みが浮かぶ。
「うふふっ、鋭いご指摘で! 毎食お腹いっぱい食べさせてもらえる理由も、その辺りにあるんでしょうね、きっと! でも……これ以上ないほど充実した生活を送らせてもらっているワケですから、別に悪い気はしませんわ! なんだかんだ言って優しい方ですし!」
「えぇっと……そう言い切れちゃうワケは?」
 何か裏があるのだろう。ベロを戻した彼は冷めた口調で質問する。
「簡単な理由ですわ! ゴミの収集と処理も生業にしている彼らですが、本当に一族を繁栄させたいだけなら、下水道も復活させずに何もしないで、街がゴミと汚物で溢れ返るままにしておけば良いだけの筈ですもの!」
「……本当だ。臭くて汚い街にしちゃえば済む話だもんね」
 視線を宙に泳がせた彼は小さく首を縦に振る。
「えぇ、その通りですわ! とんでもない場所だったと聞きますもの! 彼ら一族が立ち上がる前の街は!」
「……だろうね。黄金に光り輝く街並みが目に浮かぶよ」
 目を細めて腕組みをするベロベルト。想像するだけで悪臭が漂ってきそうな光景だった。
「あら、想像力が逞しいのですね! 私の目には何も! ……当然、恐ろしい伝染病も流行していたそうですわ。下水道とゴミ収集の事業を立ち上げたのは、住民達が病に苦しむ姿を見るに見かねたからなんですって」
 彼女は施設で働く最年長の職員から聞かされた話を思い出すのだった。
「へぇ、綺麗な心の持ち主じゃないか。ちょっと感動しちゃったよ。あーあ、オイラには真似できっこないなぁ……」
 何もかも敵わなかった。頭の後ろで両手を組んだ彼は洞窟の壁に背中を預ける。
「まさに言い得て妙です! でも……体臭は強烈ですわよ! 汗っかきな方ですからね。今の寒い時期は気になりませんが、夏の蒸し暑い時期なんかは……うふふっ! これ以上は私の口からはとても!」
 両前足の指を鼻の穴に突っ込んでみせるキュウコン。そんな彼女にベロベルトは不快そうな視線を向ける。
「駄目だよ、コユキちゃん? 間違っても面と向かって態度に出したりしたら……。失礼にも程があるからね?」
「うふふっ! そこは弁えていますわ! その程度で目くじらを立てるような方でもありませんし!」
 嫌われ者になりがちな存在だけに気になって仕方なかった。彼はホッと胸をなで下ろす。
「いや、ならいいんだけどね。まさかバイ菌扱いしてないかと思ってさ」
 目を見開いた彼女は大慌てで前足を左右に振るう。
「そんな、とんでもありませんわ! 街の英雄をバイ菌扱いだなんて! 私は当然のこと、ブルースなんか足を向けて寝られないんですから! ブルースですが……彼に頭を下げて回ってもらって、やっとの思いで警察の訓練所に入学することができたんです」
「えっ、下げて回ってもらったって……どうして?」
 とぼけた表情で質問するベロベルト。猛烈な脱力感に襲われた彼女はバッタリと横転してしまう。
「もぉぉ……ちゃんと聞いていましたか!? 今までの私の話!? 施設に入る前の彼が何をしていたか思い出してくださいな!」
 両前足で頭を抱えながら不機嫌な声を上げるキュウコン。彼は数分前の記憶に意識を集中させる。
「……ホントだ。泥棒がお巡りさんになれるワケないじゃないか。門前払いになるのがオチだよ」
 ポンと手を打つベロベルト。彼は倒れたままの相手に手を差し伸べる。
「あぁ、良かった! ちゃんと覚えてくれていましたね!」
「えへへっ、ごめんよ! ズッコケさせちゃって! 別に忘れていたワケじゃないからね!」
 上体を引っ張り上げられた彼女は元の場所に腰を下ろすのだった。
「……そりゃ感謝してもしきれないね。ブルース君も彼の顔に泥を塗ることがないように頑張らないと!」
 彼は神妙な面持ちで呟く。
「えぇ、それはもう! 朝から晩まで休みなしの特別コースでメキメキと腕を上げていっていますわ! ……そうそう、言い忘れていました! 彼も進化したんです!」
「えっ!? ルカリオになったの!?」
 大きく身を乗り出すベロベルト。キュウコンは笑顔で頷いてみせる。
「はい! 背が伸びて筋肉もついて逞しい体になりましたわ! そして何よりも……」
「何よりも……?」
 耳打ちをするキュウコン。彼はひんやりと冷たい体に身を寄せる。
「超が三つも四つもつくイケメンになりました! もうみんなメロメロですわ!」
 彼女もその内の一匹だった。真っ白いキュウコンはポッと頬を赤らめる。
「ヒューヒュー! 良かったじゃない! そのまま彼氏にしちゃいなよ! 仲良しなんでしょ、君達!?」
 どれほどの美形かは男前の彼が誰よりも知るところだった。脇腹を何度も肘でつつかれたキュウコンは一層に顔を赤くする。
「よし、決まり! 次にオイラと会う時は結婚報告だ! それ以外は認めないからね? あははっ!」
 一方的に宣言するベロベルト。彼女は戸惑った表情を隠せない。
「もぅ、勘弁して下さいな! ムチャぶりにも程があるんですから! でも……きっと振り向かせられるよう頑張ります! 恋敵だって蹴散らしてやりますわ!」
 視線を鋭くした彼女は宙に向かって何度もジャブを打ってみせるのだった。
「その意気だよ、コユキちゃん! 応援しているからね!」
 言っているオイラも冬眠が明けたら頑張らないと! そろそろ年齢的にもまずいぞ……! 笑顔の裏で彼は焦燥感を募らせるのだった。
「……おっ」
「……あっ」
 ガタガタとケトルの蓋が音を立て始めたのは次の瞬間だった。注ぎ口から湯気が噴き出るのを見届けた二匹は互いに顔を見合わせる。
「待たせたね。それじゃあ……お茶にしようか!」
「えぇ、今度こそ! ちょうど喉が渇いていたところです! それと……お礼の品も紹介させて頂きますわね。お茶にピッタリの品もありますので!」
 言いながらキュウコンは大きな行李を手元まで引き寄せる。
「えっ、本当!? それって……お茶菓子のことを言っているのかい?」
 甘党の彼には最高の贈り物だった。キラキラと目を輝かせてベロを垂らした彼の口から涎が溢れ出る。
「うふふっ! それは開けてみるまでのお楽しみです! まずは私にココアをご馳走して下さいな!」
 風呂敷の結び目を解き始めた彼女は美味しそうな口をする。
「ははっ、そうだったね! 材料を取ってくるから少しだけ待っていて! すぐに戻るよ!」
 缶詰の練乳、そして板チョコレートだ。すっくと立ち上がった彼は隣の食糧倉庫に向かって歩き始める。
「……うわぁ、何だろう!? 最高にワクワクするなぁ!」
 のっしのっしと巨体を揺らしながら声を弾ませるベロベルト。待ちに待った楽しい時間の幕開けだった。
20/11/07 16:39更新 / こまいぬ
戻る 次へ
■作者メッセージ
お久し振りです。こまいぬです。

このような感じで何シーンかコユキちゃんとの会話が続く予定です。
voreいネタも織り交ぜつつ、サブキャラクター達に光を当てていきたいところです。

眉唾の下りでコユキちゃんの口から不穏な発言がありましたが、その辺りがちょっとした伏線になりそうです。お札をトイレットペーパー代わりに使っていた筈のベロリンガ君(ベロベルト君)がお金への執着心を見せるようになっているのもポイントだったりします。

voreが目的で来られている方々には申し訳ありませんが……小説として書いている以上、しっかりとしたストーリー性を持たせたいところです。そこは譲りたくありませんし、絶対に譲れない部分でもあります。誠に恐縮ですが、ご了承願います。

TOP | 感想 | RSS

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35b