連載小説
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シーン12
「……そろそろだ。気を引き締めないと」
 荒れ放題の獣道を進んで行くべロベルトの全身に緊張が走る。移動を開始してから三十分近く。それまで鬱蒼と生い茂っていた木立に間隔が空き始め、彼は湖が近くに迫っていることを察知する。
 この向こう側に見える筈だ。背の高い雑草を踏み潰し、行く手を遮る枝に舌を絡めてバキボキと砕いた瞬間――透き通った真っ青な水を水平線の彼方まで湛えた巨大な湖が彼の目の前に姿を現す。
「……よし、着いたぞ。まずはアイツがいつも陣取っている場所からだ」
 この天候と時間帯だ。狩りに勤しんだ後の休息も兼ねて日光浴を楽しんでいる最中だろう。真っ白い砂が一面に敷き詰められた湖畔に降り立った彼は、遠くに見えるポツポツと岩が突き出た一画に目を凝らす。
「……ここからじゃ見えないな。もう少し近付いてみよう」
 死角になっているのかも知れない。それらしき姿を認められなかった彼は汀に沿って歩き始める。足元に打ち寄せる波の心地良さが高まる一方の緊張を洗い流してくれた。
 足跡を残しながら歩き続けること数百メートルあまり。視界を遮り続けていた岩の陰に身を滑り込ませた彼は腰を下ろし、最後の休息を取り始める。火照った体を冷まし、乾いた喉を湖水で潤し、上がった息を整えれば準備は完了だった。
「よし、行くぞ……!」
 立ち上がってピッタリと岩に身を寄せた彼は、向こう側が見えるか見えないかの際までソロソロと進んで行く。大きく息を吸って、そして吐いて。深呼吸を一回、二回――三回し終えると同時に身を晒す。
 ……いた! 予想は的中だった。ここに居座るようになってから自分で切り出して加工した物らしい。テーブル状の岩の上に身を横たえながら静かに目を閉じ、真夏の日差しを一身に浴び続けているオーダイルの姿を発見する。
「……あん? 何だ?」
 可能なら不意討ちで仕留めてしまいたい相手ではあったが、最強を誇る捕食者には油断も隙もなかった。睡眠中ながら侵入者の存在を鋭敏に感じ取ったオーダイルは瞬時に目を覚ます。
 飛び起きて相手の方を向き直るまでも一瞬だったが、その次のアクションを起こすまでは若干ながら間があった。岩の上で身構えるオーダイルの大顎がポカンと開かれ、鋭い切れ長の両目がパチクリと瞬かれる。
「……誰だ、テメェ?」
 いつもの威圧感に満ちた声とは異なる少し間の抜けた声。今まさに目の前で佇む相手が先程に果樹園でいたぶり尽くしたのと同じ相手だとは夢にも思わないのだった。
「やぁ、どうも!」
 いつだって挨拶は大切だ。彼は顔いっぱいに笑みを浮かべて片手を上げて見せる。
「……あぁ?」
 どうやら情報の処理が追い付かないらしい。オーダイルは呆けた表情のまま固まってしまう。
「オイラだよ! さっきに会ったばかりじゃないか!」
 あんまり良い反応を見せてくれないぞ。これだけ面影が残っていても意外に分からないものなんだなぁ。言いながら彼は変な部分で感心してしまう。
「いや、だから誰だって聞いてんだろが!」
「あ……」
 そんなオーダイルの返答に彼は言葉を失ってしまう。
 これは本当に誰だか分かっていないパターンだぞ。面白みに欠けるので語らないでおく気でいたものの、彼は自ら正体を明かしてしまう事を決心する。
「ほっ、ほら! 忘れちゃったのかい? さっきのベロリンガだよ! 実を言うと、かくかくシキジカのメブキジカで……」
 まさに興醒めと言う他なかった。どうにかして納得して貰うべく、不本意ながらも彼は自身に巻き起こった出来事の何もかもを話してしまう。
「とっ、という事はテメェ、進化しやがったのか……!」
 説明開始から数分が経過しようとしていた頃、ようやくオーダイルは彼が待ち望んだ反応を見せてくれるのだった。
「うん、そういうこと! 良かったぁ、やっと分かって貰えた……」
 これから決闘だっていうのに何だか調子が狂っちゃうよ。自身が何者か伝わって一安心するも、彼は拍子抜けしてしまう。コイツ、意外に頭は良くない方なのかも知れないぞ。凶暴さばかり目立って気付けずにいたものの、今更になって彼は憎き相手の隠された一面を垣間見るのだった。
「……何の用があって来やがった? この俺様の眠りを邪魔しやがって。それ相応の要件じゃなきゃ承知しねぇぞ、あぁん!?」
 当惑した様子を見せたのはそれまで。いつもの声のトーンに戻ったオーダイルは眼光鋭くべロベルトを威圧する。
「うっ……!」
 ここで怖気付いてはいけない! もう勝負は始まっているんだ! 凄まじい圧迫感を抱きながらも心の中で言い聞かせるべロベルト。尻尾を巻いて逃げ出したくなる衝動を抑えつつ、彼は一歩、そして二歩とオーダイルの前に進み出て口を開く。
「君に話があって来たんだ」
 いよいよだ。彼はゴクリと唾を飲み下す。
「話だぁ? なら早く言いやがれ。この俺様には時間がねぇんだ!」
 よく言うよ。オイラ以上にダラダラして過ごしている癖に。そんなオーダイルの不遜な態度に彼は反発を抱かずにはいられない。
「助かるよ。実はオイラも急ぎでね」
 ワンクッション置くと同時に大きく息を吸い込み――運命の一言を切り出しに掛かる。
「単刀直入に言うよ。君に……この森から出て行って欲しいんだ」
 言っちゃった。もう後には退けないぞ。戦いを覚悟した彼の体に力がこもる。
「な……!」
 耳を疑う言葉に面食らってしまうオーダイル。が、それも束の間、
「あぁ!? テメェ……今なんつった!?」
 一段と低く凄みのある声で吠えると同時に無数の血管を額に浮かび上がらせる。彼が見せたのは実に分かりやすい反応だった。
「この森から出て行って欲しい、聞こえたかい?」
 面と向かって言ってしまえば腹も据わった。彼は先程にも増してキッパリとした口調で言い放つ。あくまでも戦いは最終手段だった。彼はオーダイルに最後通牒を叩き付ける。
「この俺様に出て行けだぁ!? こんな良い場所から出て行くワケねぇだろうが、この野郎!」
 オーダイルは岩の上から大ジャンプして湖畔に飛び降りる。要求があってから数秒足らず、ここに両者の交渉は決裂するのだった。
 だよね! オイラからカツアゲしながら暮らす方が楽に決まっているもの! 分かり切っていた展開だけに彼は大いに納得してしまう。
「……あっそ。嫌なら構わないよ。それなら力尽くでも追い出すまでだからね」
 段々と気を大きくして行った彼は澄ました顔で言い捨てる。言った直後から相手の表情が憎悪に歪んで行ったのは言うまでもないことだった。
「……おい、クソデブ。何を血迷ったかは知らねぇが……泣いて謝るなら今の内だぞ?」
 奴隷らしからぬ言動と態度に怒りのボルテージを上げて行くオーダイル。ほんの少し前までなら半殺しの目に遭わせ終えている所だったが、流石の彼も迂闊に手出しする勇気は持てなかった。柄にもなく彼は不毛な口喧嘩を続けてしまう。
「血迷ってなんかいないよ。君に泣いて謝る気もない。オイラは本気さ!」
 売り言葉に買い言葉だった。べロベルトは負けじと相手を睨み返す。
「テメェ……! そんなに死にてぇか!?」
 既に我慢も限界だった。今にも飛び掛からんばかりの姿勢になったオーダイルは握った拳を震わせながら一喝する。
「そうそう、死んで貰えるのなら尚のこと良いかな。……どうせ他所へ行っても悪事ばっかり働いて過ごすだろうからね。その方が世のためってものさ!」
 もうどうにも止まらなかった。彼は惜しげもなく火に油を注ぎ込んでしまう。
「グフッ、グハハッ! グハハハハハッ!」
 プツリ。ないにも等しいオーダイルの理性が引き千切れたのは次の瞬間の出来事だった。憤りなど完全に超越した彼の高笑いが静かな湖畔に響き渡る。
「この恩知らずのクソ野郎が! 今まで殺さずに使ってやって来たってものをよぉ! ……役に立とうが従順でなきゃ肉にするまでだ。こんなにも反抗的な奴隷は喰っちまうに限るぜぇ!」
 見た事もないような怖い顔をしながら前足の爪を舐めて見せるオーダイル。こうなったが最後、憎悪の対象を破壊し尽くすまで誰にも止められないのだった。
「どうした? 急に大人しくなりやがって。言いてぇ事があるんなら今の内だぜぇ?」
 舌なめずりするオーダイルの口から白く濁った涎が垂れる。
 そうだ。まだ口上を述べていなかった。面と向かって突き付けるべき言葉を胸にしていたベロベルトはふと思い出す。ここで伝えなければ永遠に機会を逸してしまう。一歩ずつ距離を詰め始めたオーダイルが間合いに入って来る直前、彼はおもむろに口を開く。
「……それじゃあ遠慮なく喋らせて貰おうかな。君が今までの行いを振り返る良い機会になることを心から願うよ」
 どうせ何も思わないだろうけど! 彼は心の中で付け加える。
「おぉ、そいつぁ有り難ぇこって! 耳の穴かっぽじって聞きましょう、グヘヘヘェ!」
 完全に見下し切った口調と笑い声で応じながらも耳を傾け始めるオーダイル。最後の記念にとでも思ったのか、一応ながら聞く意思はあるようだった。
 今の内だった。べロベルトは相手の足の動きが止まると同時に喋り始める。
「君は大きな勘違いをしている。確かにここは弱肉強食が全ての野生の世界だ。それをオイラも否定する気はない。でも……だからって好き勝手が許されるワケじゃない。何でもありの中にも守るべき暗黙の掟があるんだ」
 そこで彼は大きく息を吸い直す。
「むやみに命を奪うのは厳に慎むこと。第一にして最大の掟さ。それを君は破り続けて来た。反抗的だから、邪魔だから、気に入らないから……そんな身勝手な理由で君は今までに何匹の命を奪って来たか覚えているかい? 君の知った事じゃないだろうけど、その中にオイラの友達も大勢いた! 初めて恋心を抱いた子もいた……! もう誰も残っちゃいない! みんな君がオイラから奪い去ったんだ!」
 悲しみに声を震わせるべロベルト。絶叫する彼の目に涙が浮かぶ。
「掟だと? それに奪い去っただと? ……グハッ、グハハハッ! 笑わせてくれるぜぇ!」
 が、何もかも無意味だった。そんな彼の命懸けの訴えは間もなく一笑に付されてしまう。
「この俺様が掟だ! 勘違いしてんじゃねぇぞ、この野郎! その掟に逆らうクソ共なんざぁ死んで当然なんだよ!」
 力こそ全て。自身より下の存在を支配の対象としか見做さない彼にとって、森の住民などゴミにも等しい存在に過ぎないのだった。
「……そっか、残念だよ。少しでも期待したオイラが馬鹿だったのかも知れない。そういう事ならオイラが選ぶべき道は一つだ」
 もはや対話を重ねる意味などなかった。傲慢の極みとも言える返答に相手の本質を見出した彼は一つの決断を下す。
「君に決闘を申し込む! もう何も奪わせてやるもんか! 君を倒してオイラの……いや、オイラ達みんなの森を取り戻す! それが最後まで生き残ったオイラに課せられた使命だ!」
 涙を拭い取った手で指差しながら決意を表明するベロベルト。ここに彼はオーダイルに宣戦を布告するのだった。
「ケッ、俺様も焼きが回ったもんだ。まさか奴隷にここまでコケにされる日が来るとはなぁ!」
 肩を竦めつつ鼻で笑って見せたのも束の間、彼の表情は一瞬の内に修羅の如き形相に変貌する。
 ……来る! 並々ならぬ殺気を感じ取ったべロベルトは反射的に身構える。
「お望み通りブチ殺してやるぜぇ! どっちが上か教えてやった後でなぁ! ……グルァァァッ!」
 咆哮を上げると同時に両腕を広げて飛び掛かって行くオーダイル。時は灼熱の真夏の昼下がり、ベロベルトの命を賭した戦いが火蓋を切って落とされたのだった。
18/05/09 00:19更新 / こまいぬ
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■作者メッセージ
大して書き進められませんでした(小声)
書くのを習慣付けないと……。

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