連載小説
[TOP] [目次]
シーン11
「うぅっ……」
 倒れ伏していたベロリンガの体が僅かながら動き、口から呻き声が漏れる。激突から数分後、彼は奇跡的に息を吹き返したのだった。
 良かった。何とか一命は取り留めたらしい。一安心する彼であったが、まだ気を抜くには早かった。すなわち、怪我はどの程度で済んでいるか。少なくとも骨の一本や二本は覚悟せねばならない音と衝撃だっただけに、確かめない訳には行かなかった。
 まずは両腕と両脚の全ての関節――どれも正しい方向に問題なく動く。お次に胴体を右に左に捻ってみれば、特に痛む部分もなく、折れやすい肋骨が持って行かれている感じもない。そんな調子で様々な部分を確認して回った彼であったが、調べれば調べる程に明らかとなって行ったのは、どこも大した怪我を負っていないという事実だった。
「えぇっ!? どっ、どうして? あれだけの勢いでぶつかったのに……?」
 胸の前で広げた両手を唖然とした表情で見つめるベロリンガ。諸手を挙げて喜ぶべき事であったが、あまりに信じ難い事態に直面して逆に困惑してしまうのだった。
 じゃあ、あの音は何だったのだろう? その答えは彼が前方へと視線を移した瞬間に判明する。
「わっ!? こっ、これは一体!?」
 衝撃の光景を目の当たりにして後ろ向きに倒れてしまうベロリンガ。彼が目にしたのは跡形もなく粉砕され、今や大小様々の石となって辺り一帯に散らばるのみとなった大岩の姿だった。粉々になったのは彼の骨ではなく、衝突された方の大岩だったのである。
「……そうか。分かったぞ」
 仰天するも謎が解けるまでに大した時間は掛からなかった。両手を地に着いて起き上がった彼は納得した様子で呟く。
「これは……技だ。なるたけ長く転がり続けた後でぶつかれば一撃で相手をペチャンコに出来ちゃう、オイラが使える大技の一つなのかも……」
 実に良く的を射た独り言だった。ころがる――内容は名前が示す通り。転がって衝突することで相手を攻撃する、彼自身を含む球体状のポケモンが習得可能な技だった。その最大の特徴は、ぶつかる瞬間の速度によって威力に天と地ほどの差が生まれること。速度が出ない内に衝突しても掠り傷を負わせる程度にしかダメージを与えられない反面、高速で衝突した場合は彼が示して見せた通り。まるくなるを使って一層に速度が出せるよう工夫したことも加わり、他のどんな技も足元に及ばない程の驚異的な威力を生み出すことに成功したのだった。
「……よし、覚えたぞ! まだ他にも手頃な障害物があった筈。明日からでも時間を見つけて技を磨きに来るようにしなきゃ!」
 強力な技に恵まれないでいた彼にとっては魅力の塊以外の何物でもなかった。彼は自らが転がり落ちて来た山道を振り返りつつ、生まれて初めて技の練習をすることを心に決める。
「……そうだ」
 復習がてら寝床まで転がって戻るべく体を丸めようとした瞬間、ふとした思いが彼の脳裏を過ぎる。
「この技を……この技を使いこなせるようになればアイツだって……!」
 オーダイルを倒したい。強まって行ったのは積年の願望だった。……が、数秒後、彼の思いは呆気なく萎んでしまう。
「いや……ダメだ。技の一つや二つで何とかなる話じゃない。オイラとアイツじゃ何もかもが違い過ぎるんだ……」
 言い終えるなり彼は深い溜息を吐く。
 行き付く結論はいつも一つだった。二回も進化を重ねている相手、一度も進化していない彼。両者の間には途方もない実力差が存在するのである。彼自身が進化して強大な力を手に入れること。それが埋め難い差を縮める唯一の方法だった。
「あぁ、オイラも進化して強くなりたいよ……!」
 声を震わせるベロリンガであったが、その悩みも今日限りだった。カップルの二匹を大便に変えて進化に必要な養分を蓄えたこと、進化に必要な特定の技を習得したこと。幸運と偶然が絶妙に重なり合い、彼は知らず知らずの内に進化の条件を満たしてしまったのだった。
「……うわぁっ!? まっ、眩しいっ!」
 そして――その瞬間は訪れる。何の前触れもなく視界全体を塞いで来た閃光に彼は為す術なく両手で顔を覆う。その発生源が自分自身であることに気付く間もなく、あまりの光の強さに彼は立ったまま気を失ってしまう。
 彼の知らない間にも進化は休みなく続き、閃光が全身を覆い尽すのと同時に体型が変わり始める。最初に変化が起こったのは胴体と尻尾だった。前者は風船のように膨れ上がって倍近い大きさとなる一方、後者は胴体に吸収される形で小さくなり、元の半分近い大きさとなる。大雑把な変化が終われば細かい変形が後に続いた。曲がっていた背筋はピンと伸びて両足に全体重が掛かる構造になり、頭にはカールした前髪を思わせる突起物が形成され、人間に近い風貌となった時点で変化は終了する。
 後に続いたのは肝要となる中身の変化だった。脳を筆頭に様々な神経系が高度に発達した結果、彼は身体能力を飛躍的に向上させるのみならず、鋭敏に研ぎ澄まされた五感を備えることに成功する。旺盛な食欲を支える内臓、特に消化器官の成長も目覚ましいものがあった。肥大化すると同時に機能も大幅に強化され、岩石すら跡形もなく溶かして養分を絞り取ってしまう程の並外れた消化能力を身に付けるまでとなる。
 かくして彼は身長が二メートル近く、体重は百五十キロにも達する巨漢のポケモン――べロベルトに成長を遂げたのだった。進化を終えると同時に体表を覆っていた光のベールは少しずつ剥がれ落ちて行き、完全に消失すると同時に彼は目を覚ます。
「……はっ!? あぁ、びっくりした! 何だったんだろう、今の……って、えっ?」
 最初に違和感を抱いたのは目線の高さだった。どういう訳か周囲の物が何十センチか低い位置に見える。三百六十度ぐるりと見回しても結果は変わらず。普通では考えられない事態に彼は大いに困惑してしまう。
「……オイラってこんなにも身長あったっけ?」
 呟きつつ足元に目線を落とした彼であったが、それは更なる異変に気が付く契機となってしまう。足元の地面の代わりに彼の目に飛び込んで来たのは、お腹周りを覆い尽す贅肉、贅肉、そして贅肉だった。恰幅の良さに定評のある彼も流石にショックだったらしい。彼は途端に悲鳴を上げる。
「……ひゃっ!? なっ、何これ!? また一段とデブになってるよ、オイラ!? おまけにお腹の模様まで変わって……!?」
 下腹部の黄色い三本線、そして涎掛けを思わせる胸元の真っ白い模様は初めて目にする代物だった。あまりに大き過ぎる変化に彼は戸惑う気持ちを隠せない。
「もしかして、オイラ……さっきまでのオイラとは違う姿になっちゃってる……?」
 浮上したのは一つの可能性だった。彼は呆然と立ち尽くしながら声を上ずらせる。
 雨上がりという事もあって確かめる手段には困らなかった。彼は自身と対面すべく、近くに出来ていた水溜りの前まで歩き始める。胸は大きく波打ち、足はガクガクと震えたものの、勇気を振り絞りながら一歩ずつ進んで行き――やがて彼は水溜りの真正面に躍り出る。
「……やっぱり! ベロリンガじゃなくなってる!」
 水面に映ったのは以前の自分とは似て非なる者の姿だった。衝撃の光景に彼は大きく息を呑む。
「とすると、この姿っていうのは……」
 謎が解けるまで数秒も掛からなかった。真実を知ることとなった彼の顔に晴れやかな笑みが浮かぶ。
「……進化したオイラの姿だ! あははっ、進化したんだ! このオイラも……遂に! やった! ……やったぞぉぉぉぉぉ!」
 マグマのように湧き上がって来た興奮は歓喜の雄叫びとなって爆発する。木々をざわめかせ、山々を揺らしつつ、森中へと木霊して行くのだった。
「でも……これがオイラの進化した姿かぁ。欲を言えば、もう少しシュッとしてスラッとした格好良いポケモンになりたかったんだけど……やっぱりデブになる運命からは逃げられなかったみたいだねぇ……」
 冷静になって自身の姿を見直した彼は、苦笑いしながらお腹の脂肪を摘まんで見せる。日頃の食生活が祟ったのかな。彼は少しだけ後悔した。
「でも……これはこれでオイラらしくって良いや! うん、気に入った! これが今日からのオイラの姿だ!」
 が、概ねは満足だったらしい。彼は水面に映る自身の姿に誇らしげに胸を張って見せた。
「ははっ、それにしても懐かしいなぁ。この格好……あの時に作った雪だるまとそっくりだ!」
 彼は物心が付いて初めて迎えた雪の降り積もった日の朝を思い出す。ワクワクを抑えられず、寒さも忘れて雪遊びに興じた幼い頃の思い出だった。
「おしろいを全身に塗りたくって、頭にバケツを乗っけて、そんでもって両手に毛糸のミトンを嵌めたら完璧だね。首にベロをマフラー代わりに巻いておくのも忘れないようにしなくちゃ!」
 一面の雪景色を背景に想像を膨らませるも、そこで彼は自らの発言に我に返ることとなる。
「ベロ……? そうだ、すっかり忘れてた! オイラのベロ……どんな具合に変わったんだろう……!?」
 思い出したのは自身の最大の特徴だった。変化が期待できる部分だけに彼は大いに胸を膨らませる。
「よぉし! どれだけ長くなったか確かめちゃおう!」
 進化前の倍は伸びるんじゃなかろうか!? ときめきが最高潮に達する中、彼は舌を目一杯まで伸ばす時の姿勢、すなわち両手を挙げて前屈みになるポーズを決める。前方の一点を見据えて口を半開きにし、少し顎を引いてタメを作れば準備完了だった。
「そぉれ、ベロォォォォォン!」
 進化前と何ら変わらない一連の動作。相変わらずの間の抜けた掛け声が上がると同時に鮮やかなピンク色の舌が彼の口から勢い良く伸び始める。
「……って、えぇぇぇぇっ!?」
 掛け声が叫び声に変わるまで一瞬だった。予想の斜め上を行く展開に彼は危うく後ろに倒れ掛けてしまう。二倍や三倍どころの話ではなかった。それこそ舌は際限なく伸びて行き、最終的に進化前の十倍近い長さまで達してしまったのだった。
 流石に目の錯覚ではなかろうか。そう思って何度も強く目元を擦るも見える光景に変わりはなかった。紛れもない事実と認識するに至った彼をゾクゾクするような興奮が襲う。
「すっ、凄い……! こんなにも伸びちゃうんだ、進化したオイラのベロ……!」
 肉厚の舌も先端が針のように細く見えてしまう途方もない距離だった。彼は感動のあまりに目を輝かせる。
「それじゃあ、早速……!」
 魅力とロマンが詰まった飛び道具に心惹かれない筈がなかった。込み上げる好奇心の赴くまま、彼は手当たり次第、もとい舌当たり次第に周囲の物に舌を巻き付けて遊び始める。
「長くなっただけじゃない! 前よりも自由自在に動かせる!」
 好きな部分でくねらせて変形できるのは当然のこと、舌先に至っては手指のような繊細さが備わっていることに気が付く。豆粒大の石を摘んで目の前まで持って行きつつ、彼は文字通り舌を巻くのだった。
「おまけに……」
 そこで彼は顔を上向ける。
「何だか頭も凄く冴える! 今のオイラなら……全速力で飛んでいる鳥ポケモンすらベロで巻いて食べちゃえる気がする……!」
 後一歩で獲物に舌が届かない、後一歩で獲物に舌を伸ばすタイミングが掴めない。悔しい思い出を積み重ねて来た日々も今日までだった。彼は一つの確信に至る。
「えへへっ、もう誰もオイラのベロから逃さないよ……!」
 真夏の青い空を真っ直ぐに見据えつつ、彼は不敵な笑みを浮かべるのだった。
 一通り堪能し終えた彼は伸ばしていた舌を引っ込めに掛かる。伸ばすスピードもさることながら、戻すスピードも目を見張るものがあり、さながらゼンマイばね仕掛けのコードリールのように根元から口の中へと吸い込まれて行くのだった。
 それにしても、こんなに長い物が一体どこに納まっていたのだろう? 舌を戻している途中で不思議に思った彼であるが、巻き取った舌が喉奥の大きく膨らんだ部分に納まって行く感触に答えを知る事となる。
 その正体は進化の過程で巨大な袋状の臓器に変異した彼の唾液腺。長すぎる舌の収納場所であると同時に本来の機能も大幅に強化されたその器官は、たっぷりと消化酵素が含まれた唾液を泉のように分泌する化学工場に成長を遂げていたのだった。
「なるほどね。仕舞っておく場所が新しく作られていたんだ。よく出来ているもんだなぁ」
 唾液腺の内側を舌先でなぞりつつ、彼は進化の神秘を全身で感じ取るのだった。
 いつまでも余韻は尽きなかったが、やがて進化する直前の記憶を蘇らせた彼は表情を硬く引き締める。進化してから数分足らず、彼はオーダイルとの戦いを覚悟する。
「どうせ戦わなくても死ぬ運命に変わりはないんだ。一か八か、進化したオイラの実力に賭けてみよう」
 そう一言、彼は決意を滲ませる。
 ここにオーダイルの最大の誤算があったと言える。収穫の更なるピン撥ねを宣言して生存を脅かすまで追い詰めた結果、彼から一線を超えることへの躊躇いを薄れさせてしまったのだった。
「……行くなら今しかない。今のアイツは狩りの失敗続きでいつも通りの力を出せない筈。勝負を挑むなら腹ペコの今だ!」
 オーダイルの発言を思い出した彼は確信する。まさに千載一遇のチャンスとはこの事、進化した事実が伝わらない今では意表を突けるメリットも加わり、今までにない程の好条件が揃っているのだった。
 さぁ、行こう!  暗黒の日々に終止符を打つ時が訪れた! 決意を胸にオーダイルの住処へと踏み出した彼であったが――
「うっ……!」
 やはり絶大な恐怖には抗えなかった。間もなくして彼の足の動きはピタリと止まり、全身を激しい悪寒に襲われる。絶叫、飛び散る血しぶきと肉片、そして――見るも無残に破壊され尽くした亡骸。今までに見聞きして来た殺戮の模様がフラッシュバックする。
 次が自分の番にならない保証などなかった。倒さなければ倒されるのみ。敗北イコール死の戦いが待ち受けるのである。それだけのリスクを背負い込む覚悟が本当に今の自分にあるのだろうか? 重大な局面を目の前にした彼の心に大きな迷いが生じる。
「収穫の時まで猶予はあるんだ。色々と考えた後でも遅くないし、もっと良いチャンスに恵まれる可能性だってある! そっ、そうだ! 急ぐ必要はないんだ……!」
 思わず口を吐いて出たのは消極的この上ない台詞だった。
 このまま計画を実行に移さず終わってしまうのではないか。彼が静かに首を左右に振ったのは、そんな雰囲気すら漂い始めた矢先の出来事だった。
「いいや、駄目だ。それだと今までのオイラと一緒じゃないか」
 果樹園の収穫を奪われ、親友の命を奪われ、自分の命まで奪われ掛けている。そうやって先延ばしを繰り返した結果として今の状況があることを忘れてはならなかった。体は立派になっても心が元のままじゃ意味がない。彼は進化した今となって痛感する。
「変わらなきゃ。心はオイラ自身の力で進化させるしかないんだ……!」
 悔しさ、悲しさ、そして怒り。抑圧の果てに埋もれていた感情が次々に目を覚まして行く。もはや迷いはなかった。恐怖を克服した彼の顔に悲壮に満ちた表情が浮かぶ。
「……きっと自由を取り戻して見せる! 生きるため戦うんだ!」
 明るい未来を信じて死地へと赴いて行くべロベルト。進化とは生きながらにして生まれ変わること。彼の真価を問う戦いが今まさに幕を開けたのだった。
18/04/29 21:27更新 / こまいぬ
戻る 次へ
■作者メッセージ
お久しぶりです。

数か月ぶりの更新になってしまいました……。
毎回の事ながら申し訳ありません。

まとまった時間が取れたので、このGW中に
色々と書き進めたいところです。

TOP | 感想 | RSS

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35b