連載小説
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シーン14【グロテスクな表現を含みます】
「……ってか、熱っ! 熱過ぎるでしょ、これ!」
 完全に息が整うまで寝そべり続ける気でいた彼であったが、そうは問屋が卸さなかった。熱砂に皮膚を焼かれる感覚に気付いた彼は飛び上がるようにして起き上がる。背中に付着した砂を一粒残さず払い落とし終えた彼が向き直ったのは一つの方角だった。
「……木陰まで行って休もうっと。ここじゃ焼肉にされちゃうよ」
 火照りに火照って汗塗れになった体を冷ますべく、すっかり重たくなった両足を引き摺るようにして歩き始めるベロベルト。ザブンと湖に飛び込みさえすれば何もかも解決しそうな話であったが、最後に湖で泳いだ際に足が攣って溺れ掛けた記憶がトラウマとなり、踝から上を水に浸せなくなってしまっていたのだった。
 ここを使わせて貰おう。間もなくして森に分け入り、灼熱の陽射しから解放された彼が休憩場所に選んだのは、樹齢数百年は下らないであろう表面にびっしりと苔生した一本の大木だった。
「……ふぅ! あぁ、ひんやりして良い気持ち!」
 根元に腰を下ろして両足を投げ出し、幹に背中を預ければ気分は極楽。うんと伸びをした彼の脳裏に蘇ったのは激闘のクライマックス――最高威力の転がり攻撃をオーダイルに食らわせた瞬間の一幕だった。
「へんっ、どんなもんだい! 最後に笑うのはオイラ達なのさ!」
 岩のテーブルの上で痙攣し続けるオーダイルを遠目に眺めつつ、勝利の喜びに酔いしれるベロベルト。その一言で残酷な現実に打ちひしがれるなど、口にするまで夢にも思わなかったのだった。
「オイラ達って……そっか。もうオイラ以外に誰もいないんだっけ……」
 悦に入っていられたのはそれまで。ボソリと呟いた彼を底なしの虚しさが襲う。
 現実は彼が戦いの直前にも述べた通りだった。ある者は餌食にされ、またある者は理不尽に殺され、更にある者は抵抗の果てに命を落として行った結果――彼の知る森の住民は全滅してしまっていたのだった。
「あれ、おかしいな?  ははっ、駄目じゃないか。泣いたりしちゃ……!」
  お腹を拳で叩きながら叱咤激励するも、込み上げる感情は抑えようがなかった。力なく俯いた彼の両頬を幾粒もの涙が滴り落ち始める。
 何気ない話をしては大いに盛り上がったこと、力を合わせて獲物を追い詰めたこと、真心を込めて育てた秋の実りを一緒に収穫したこと、洞窟の中で身を寄せ合って励まし合いながら真冬の寒さに耐えたこと、待ちに待った春の訪れを御馳走で祝ったこと、快晴の夏の夜空を駆け抜ける流星群を眺めたこと。その時々に感じた楽しさ、一体感と興奮、達成感、肌の温もり、喜び、そして感動。仲間と共に過ごした日々の思い出が走馬灯のように浮かんでは消えて行く。
「……あぁっ! ああぁぁぁぁっ!」
 嗚咽を堪えていられたのはそれまで。洟と涙でクシャクシャになった顔を両腕に埋めて泣きに泣きまくり始めるべロベルト。何もかもを分かち合った仲間達への思いが涙と共に溢れ出る。
「……あーあ、嫌になっちゃう! 私のこと勝手に殺さないでくれるかしら!」
 何の前触れもなく耳に飛び込んで来たのは若い女性の声だった。
「えっ……誰だい?」
 ハッとして正面を見やるも姿はない。キョロキョロし始めたべロベルトに声の主が更に呼び掛ける。
「うふふっ、どこを探しているのかしら? 私はここよ、泣き虫さん!」
 オイラの真上からだ。誰かが枝葉の中に隠れている……? ようやく居場所を突き止めて顔を上向けた矢先――
「ばあっ!」
 彼の目と鼻の先まで迫っていたのは縦いっぱいに開かれた蛇の大口。樹上から真っ逆さまに落下した声の主が顔に噛み付いて来たのだった。
「……むぐぅ!?」
 気付いた頃には時すでに遅し。生温かく湿った感触に顔全体を覆われたと思う間もなく、彼はさながら頭に袋でも被せられたかの如く、首から上をすっぽりと口内に納められてしまう。
「んーっ! んっ、んーっ!」
 必死に体を捩らせながら引き剥がそうとするも咥え込む力には遠く及ばない。ジタバタして逃れようと試みるも結果は同じ。そうこうしている間に長く、それでいて太い胴体を全身に巻き付けられ、やがて一寸も体を動かせなくなってしまうのだった。
 駄目だ、どうにもこうにも振り落とせない……! 噛み付き攻撃から解放されたのは、抵抗を諦めかけた次の瞬間だった。
「……ぷはっ! あぁ、塩っぱいったらありゃしないわ! ほんっと、男の癖に涙なんか流して情けないんだから!」
 何故、どうして? オイラを食べるつもりじゃないのか? その一言で疑問は消え失せる。
「その声……! きっ、君は……!?」
 聞き覚えのある笑い声。涙でぼやける視界を両手で拭った先から現れたのは――細長の赤い目、首元から伸びる高い襟を思わせる二枚、後頭部から伸びる長い耳のような二枚、計四枚の尖った葉っぱが特徴的な淡い緑色をした蛇のポケモン――ジャローダだった。
「久し振り! 元気にしていたかしら?」
 視線が合うなり微笑み掛ける彼女であったが、一方のべロベルトは開いた口が塞がらない。
「しっ、信じられない、まさか君が生きていたなんて……!」
 指差しながら全身を小刻みに震わせるべロベルト。その表情は何か恐ろしい存在に出くわした時のそれと大差なかった。
「ふふっ、幻でも幽霊でもないわよ! あなたの体に巻き付いているこの感覚、本物でしょ?」
 そう言って締め付ける力を少し強めて見せるジャローダ。ひんやりとした滑らかな鱗の感触、全身から溢れ出る爽やかな新緑の香り。彼女自身と確信させるには十分な証拠の数々だったが――
「でっ、でも……やっぱり信じられない! それじゃあ、あの時にオイラが見たのは一体……?」
 あの時。数ヵ月前の初夏の頃に見聞きした光景が彼の脳裏に蘇る。
 鬱蒼とした木立の奥から激しく言い争う声が聞こえて来る。片方の声はオーダイル、もう片方は――
「嫌よ! 離して頂戴! あなたみたいな乱暴者に貸す耳はないわ!」
 他でもないジャローダの声だった。偶然ながら居合わせたべロベルト、もとい当時のベロリンガは全身が凍り付くような感覚に襲われる。
 駄目だ、そいつにだけは歯向かっちゃいけない! お願いだから大人しく言う通りにしてくれ! 見つからぬよう近くの茂みに隠れながら念じるも、負けん気の強い彼女にその思いが届く事はなかった。瞬く間に口論はエスカレートし、一触即発の空気が二匹を包み込んで行くのが見えずとも伝わって来る。
 早く手を打たなくては。そう思って必死に知恵を振り絞るも大粒の脂汗が滴り落ちるばかり。何一つとして具体的な方法を思い付けないのだった。そのまま時間だけ残酷に過ぎて行き――やがて最も恐れていた瞬間が訪れる。
「このアバズレがぁ! 下手に出りゃ付け上がりやがって!」
 急に一段と大きくなるオーダイルの怒号。その意味は誰よりも彼が良く知るところだった。身を屈めていたベロリンガの顔から一瞬で血の気が失せる。
「女だから手加減するつもりでいたが気が変わったぜぇ! その反抗的な顔をぶっ壊してやる! ……グルァァァッ!」
「いっ、いやぁぁぁぁあああ!」
 咆哮、そして絶叫が交錯した直後――
 ザシュッ!
 鋭利な爪が肉体を真っ二つに切り裂く音が響き渡る。直後、飛沫となった鮮血が四方八方に飛び散り、その一部が彼の目の前の地面、そして彼の顔面に降り掛かる。
「あ……ああ……!」
 終わった、何もかも――。身を潜めた茂みの中で力なく崩れ落ちるベロリンガ。極限のショックに耐え切れる筈もなく、間もなくして彼は意識を手放してしまう。
 そう、生きている筈がないのだ。回想を終えたべロベルトの頬を汗が伝い落ちる。
「あぁ、あの時ね! ごめんなさい、気付かなかったわ! まさか近くで見ていたなんて!」
 まるで他所事だったかのような言い草だった。彼女は更にこう続ける。
「……あの時だけど、実を言うと狩りの最中でね。アイツ、私の獲物を横取りしに来たのよ。で、言い合っていたら急に襲い掛かって来たものだから、慌てて獲物を放り捨てて逃げ出したってワケ。……まさかアイツが振り下ろして来た爪に直撃するとはね。意識がないまま逝けたことを祈るばかりだわ」
 言葉の最後で彼女は少しだけ神妙そうにして見せた。
「ええっ!? とっ、と言うことは……!?」
 仰天するべロベルトに彼女は笑顔で頷いて応じる。
「ふふっ、そう言うこと! あれは私じゃなくて、私が締め落とした子だったの! その私は見ての通り! あの子が身代わりになってくれたお陰で傷一つ負わずに済んだわ! ……って、きゃっ!?」
 悲鳴を上げるジャローダ。目の前の巨体の主が力いっぱい抱き付いて来たのだから無理なかった。
「ああぁぁぁぁっ、ありがとぉぉぉぉっ! 生きていてくれたんだねぇぇぇっ!」
 感極まって号泣し始めるべロベルト。生まれて初めて流す嬉し涙であった。
「もぅ! びっくりするじゃないの! 暑苦しいったらありゃしないんだから!」
 怒って見せるも満更でもない様子だった。彼女も相手の背中に両手を回し、そして、
「……私こそありがとう! あなたと生きて会えて最高に嬉しいわ!」
 そう一言、そっと耳元で囁くのだった。
 再会を喜ぶこと数十秒あまり。熱い抱擁を解いた二匹は互いに見つめ合う格好となる。そこで改めて思い知らされるのは二匹の体に生じた大きな変化だった。
「ふふっ、べロベルトに進化したのね! 随分と逞しい体になったじゃないの!」
「そりゃどうも! 進化した甲斐があったってものだよ!」
 褒め言葉に顔をほころばせるも長続きしなかった。彼女の異変に気付いたべロベルトは途端に表情を曇らせる。
「君は……何て言ったら良いんだろう。こんなになっちゃうなんて……」
 こけた頬、筋肉が衰えて弛んだ皮膚、元気をなくした尻尾の葉っぱ。長らく栄養不足でいたことを示す証拠の数々を目の前にべロベルトは言葉を失ってしまう。
「まぁね。あの日から一歩も地面に降りずに暮らして来たんだもの。仕方ないわ」
 彼女は言葉の最後で大きな溜息を吐く。
「うぅっ……」
 想像を絶する苦痛だった。もし自分が彼女だったら――。べロベルトは胸が締め付けられる感覚を抱く。
「ふふっ、そんな顔しないの! ずっと日光浴していたから健康には過ごせていたのよ?」
「あ……そっか。君にはその手があったね」
 すっかり忘れていた。彼は以前に聞いた話を思い出す。
「えーっと、何て言ったかな。こ、こう……こうせい……」
「光合成! そこは覚えておいて欲しかったわね!」
「そう、それそれ! あぁ、また先に言われちゃった!」
 べロベルトは悔しそうに宙を仰ぐのだった。
 光合成。二酸化炭素、水、そして太陽の光を化学反応させて炭水化物を生み出す、言い換えるなら生命維持に必要な養分を食べずして生み出す魔法にも等しい能力。この数ヵ月間を彼女が雨水だけで生き延びられた唯一にして最大の理由だった。しかし――
「だけど……その光合成も万能じゃなかった。しばらくは普通に過ごせていたんだけど……ある時を境にどれだけ日光浴を続けても空腹を感じるようになってね。段々と痩せて行ったの。身なりも日毎にみすぼらしくなって行ったわ」
 その限界は彼女が述べた通りだった。動物は炭水化物のみにて生くるものにあらず。多種多様な栄養素を満遍なく摂取しなければ身体に不具合が生じるのは時間の問題でしかないのである。それは光合成を司る器官とて同じ。反応のコントロールに必要な物質の供給が滞った結果、徐々に機能不全に陥って行ったのである。
 結局のところ、一般的な植物と違って地中に張り巡らされた根を持たない彼女は、生き長らえるのに必要な栄養素の大半を自力で作り出せないのだった。その解決策はただ一つ。生きとし生ける物を食らうこと。彼女もまた逃れられぬ業を背負った存在なのだった。
「それで、我慢が利かなくなって決死の覚悟で出て来たのが今日だったってワケ。そしたら湖の方から地鳴りのような音が響いて来てね。何事かと思って大急ぎで駆け付けたら……アイツを相手に戦うあなたの姿を見つけたの! 格好良かった、何より頼もしかった……!」
 徐々に明るい表情へと変わって行った彼女の瞳に光が射す。普段なら恥ずかしくて口にすることも憚られる台詞でさえ惜しげもなく言ってしまうのだった。
 この上ない賛美を受けたべロベルトであったが、彼の表情は暗く沈んだものへと変化して行く。
「格好良くなんかないよ。どこまで行ってもオイラは臆病者さ。あの時、君がアイツに襲われた時……オイラ怖くて近くの茂みの中でずっと震えていたんだ。助けに入る勇気もなくて、それどころか……君が大人しくアイツに従うことを祈っていて……!」
 泣き止んだ筈のべロベルトの目に再び涙が浮かび始める。
「本当にごめんよ。守ってあげられなかったばかりに……こんな体にしてしまって……ああっ!」
 しゃくり上げると同時に片腕で目元を覆うべロベルト。そんな彼に彼女は優しく微笑み掛ける。
「もぅ、いい加減に泣き止みなさいな! あの時はあの時よ! 今こうやって私のこと守ってくれたじゃないの!」
 言いながら彼女はべロベルトの背中を尻尾で軽く叩く。
「それに私なら大丈夫! この程度で死にはしないわ! 今に美味しそうな子を食べまくって元通りの体を取り戻してやるんだから!」
「……本当に大丈夫?」
 泣き腫らした目を向けて来たべロベルトに彼女は自信満々に頷いて見せる。
「えぇ、もちろん! アイツが死んだ今なら何とでもなるわ! せいぜい自分の心配でもしてなさい! あなたの分まで私が食べ尽くしてしまうでしょうからね! ……ほら、じっとして!」
 ぐっと顔を近付けて、ペロリ。伸ばした細長い舌で目元の涙を拭い取れば一件落着。べロベルトの顔に笑みが戻る。
「はい! もう泣いちゃダメよ!」
「うん、ありがとう! もう泣かないよ……!」
 再び抱き締め合う二匹。両者の絆が一層に強まった瞬間だった。が、その直後――
「うっ……!」
 べロベルトの肩越しに湖畔を望んだ彼女の口から呻きが漏れる。
「うん? どうしたの?」
「……いやね、さっきの話だけど」
 顔を向けて来たべロベルトの耳元で囁くジャローダ。視線の先にあったのはオーダイルの姿だった。
「アイツ……本当に死んだのかしら? 何だか今にも起き上がって来そうで気味が悪いわ」
「え……まだ動いているのかい?」
 完全に倒したと思い込んでいただけに動揺は大きかった。同じ方向に視線を合わせた彼は飛び上がってしまう。
「げっ、本当だ……」
 背筋を寒くするべロベルト。オーダイルは依然として岩のテーブルの上で身悶えし続けていたのだった。
「まさかとは思うけど……息を吹き返したりしないわよね……?」
「えっと、それは……」
 不安そうに顔を覗き込まれるも答えに窮してしまうべロベルト。十分に確認しないで場を離れたことを今更ながら後悔するのだった。
「よし、オイラが見て来るよ。君はここで待っていて!」
 ここは彼女を安心させるためにも見に行かないと。ジャローダを地面に降ろして歩き始めるべロベルト。彼女の不満げな声が背中に突き刺さって来たのは次の瞬間だった。
「ダメ! 私も一緒に行くわ! 最後くらい手伝わせて頂戴!」
 言い出したら聞かない彼女のことである。望む通りにしてあげよう。背後を振り返った彼はやむなく首を縦に振る。
「分かったよ。一緒に行こう」
「ふふっ! そうこなくっちゃ!」
 要求を通した彼女は嬉々とした様子でべロベルトの後を追い始めるのだった。
 木立を抜けて熱砂の上を進んで行く二匹。オーダイルまで二十メートルと少しの距離に迫った彼は、後続のジャローダに待機するよう手で合図すると同時に足を止める。
「……ストップ。何かあったら大変だ。起き上がって来ないか確かめてからにしよう」
「え、確かめるって……?」
 こんなにも離れた距離からどうやって? そんな疑問が浮かぶも解決するのに時間は掛からなかった。激闘の結末を思い起こした彼女の顔に笑みが浮かぶ。
「ふふっ、失礼! 聞くまでもなかったわね! それじゃ、お願いするわ!」
「うん、そういう事だから任せて! すぐに終わらせるからさ!」
 横目でウインクして見せた彼が取り始めるのは定番のポーズ。舌を発射する姿勢になった彼は岩のテーブルの真上に狙いを定める。
「そぉれ、ベロォォォォォン!」
 間の抜けた掛け声も相変わらずだった。一瞬で舌を伸ばし切った彼の背後で歓声が上がる。
 起き上がれるものなら起き上がっておいで! 伸ばした得物の先端から数メートルをロールして舌の拳を作った彼はオーダイルに強い視線を送る。
「……ええーい!」
 後は下腹部のクリーム色をしたブイ字模様を目掛けて振り下ろすだけ。トドメの一撃の舞台に使われただけあって既に随分と脆くなっていたらしい。拳を打ち付けると同時に岩のテーブルは粉々に砕け散り、オーダイルは湖畔に叩き付けられる格好となる。
「……どうだ!? 起き上がって来るか!?」
 舌を巻き戻すと同時に表情を硬くして身構えるべロベルト。背後に控えるジャローダも同様に気を引き締める。固唾を飲みながら湖畔の一点を見つめ続けること三十秒近く。先に警戒を解いたのはジャローダの方だった。
「大丈夫……そうね。もう起き上がっては来ないみたい」
「……うん。オイラもそう思う」
 同様に力を抜くも完全にリラックスするには早かった。この目でアイツの死を見届けなくては。彼は前を向いたまま言葉を続ける。
「……よし、今の内だ。近くまで行って確かめよう」
「ええ、早いとこ済ませましょう!」
 砂の上を駆け始める二匹。その先に後悔が待ち受けるなど夢にも思わないのだった。
「……ひっ!?」
「うっ……!」
 標的を目の前に硬直してしまう二匹。
 倒した相手だが、さながら秘孔でも突かれたかの如く、上顎から頭頂に至るまでを四散させていたのだった。ラッキーの卵よろしく割れてしまった頭蓋骨から飛び出した桃色の物体は脳味噌と見て間違いなさそうである。その近くで転がる白っぽいビー玉を思わせる物体は――
「……ゔぉげえぇぇぇっ!」
 見ていられたのはそれまで。瞬く間に胃の内容物の全てを逆流させた彼は、その場に跪くと同時に溶解液をぶちまける。獲物は傷付けずに丸呑みするのが当たり前の彼に、この手の光景への耐性など備わっていないのだった。
「ちょ……ちょっと! 大丈夫!? あっ、あまり見ない方が良いわ! ……って、うっぷ! 私も吐きそう……!」
 気丈に振る舞おうとした彼女にも直に限界が訪れる。両手で口元を押さえつつ、頬をパンパンに膨らませながら耐えるも、目の前で豪快に吐きまくられては我慢のしようがなかった。
「うぶっ……! も、もう……ダメ……!」
 ジャローダの胃液。ロイヤルポケモンに相応しい気品漂う技を彼女も同様に繰り出してしまうのだった。
「でも……これで一つ分かったぞ……」
 阿鼻叫喚の光景が繰り広げられること数十秒あまり、すっかり吐き終えたべロベルトが息も絶え絶えに呟く。
「もうアイツは起き上がって来やしない。こんな状態で生きていられる筈がないんだ」
 言いながら汚れた口周りを舌で拭い去るべロベルト。そんな彼の言葉に彼女は何度も首を縦に振って応じる。
「……ええ、違いないわ。コイツはもうお終いよ」
 それから吐き気が収まるには更なる時間を要した。両目に涙を溜めながら地面と睨めっこを続ける二匹であったが、やがて彼女が思い出したように口を開く。
「いったん戻りましょう。また気分が悪くならない内に」
 今度はべロベルトが頷く番だった。そのまま二匹はオーダイルに背を向けて立ち上がり、ふらつく足取りで木立の中へと引き揚げて行くのだった。
「……ごめんよ、貰いゲロさせちゃって。もう落ち着いたかい?」
 異性を前にしておきながら情けない。苔むした地面に突っ伏して休む彼女の背中をさすりつつ、彼は恥ずかしい気持ちを募らせる。
「えぇ、何とか。そう言うあなたはどう?」
 鎌首をもたげた彼女が聞き返して来る。
「平気さ。何もかも吐いちゃったからね。なんだけど……」
 べロベルトは落ち着かない様子を見せ始める。
「なんだけど……何?」
 彼女が尋ねると彼はオーダイルの方をちらと見遣り、そして、
「いや、話は変わるけど、アイツを何かに生かせないかと思ってさ。その、例えば……」
「諦めなさいな。私にもあなたの口にも入らないわよ、あんな大きな獲物。……一休みしたら穴でも掘って埋めてしまいましょう? それが一番だわ」
「うぅっ……だよね……」
 言い掛けるもバッサリと切り捨てられてしまう。諭すような彼女の言葉に彼は首をすくめる他なかった。
 あぁ、貴重なお肉が……。このまま土に還るに任せるしかないのか……。腹ペコの彼女に何もしてやれないのがもどかしかった。その場に力なく腰を落とした彼はオーダイルが横たわる方をぼんやりとした表情で見つめ始める。背後から何者かが呼び掛けて来たのは次の瞬間だった。
「よぉ、お前達! 久し振りだな! 元気にしていたか!?」
 直後にポンと肩に乗せられたのは真っ黒い毛皮に覆われた三本指の手のひら。聞き覚えのある声、そして見覚えのある手に記憶を呼び起こした彼は顔いっぱいに笑みを浮かべる。
「あっ、その声は……!」
 振り返った先に佇んでいたのは、首から下の全身をローブのような毛皮で包んだ、ピンと立った長い耳が特徴的な二本足で立って歩く狐のポケモン――マフォクシー。昨晩に食した獲物との会話の中に登場した狐のポケモンとは彼の事だった。
「レナードさん! また会いに来てくれたんだ!」
 立ち上がって大喜びするべロベルト。レナードと呼ばれたマフォクシーの顔に驚きと嬉しさが入り混じった表情が浮かぶ。
「……おおっ! 道理で前に会った時より背中が大きく見えるワケだ! べロベルトになっていたのか!」
「うん! 見違えたでしょ! オイラも遂に進化したんだ!」
 彼はえへんと胸を張って見せる。目を合わせるには見上げる他なかった相手も今や見下ろす高さだった。
「あぁ、見違えたとも! だが……雰囲気は相変わらずだな! 前に会った時と同じだ!」
「ははっ、そりゃそうだよ! 進化してもオイラはオイラだもの!」
 顔を見合わせて笑う二匹。まどろみ掛けたジャローダの目がマフォクシーの姿を捉えたのは次の瞬間だった。
「……あら、いらっしゃい。誰かと思えばレナードさんじゃないの。お変わりないかしら?」
「俺は相変わらずさ。また会えて嬉しいよ。おや……?」
 挨拶を終えたマフォクシーの顔に疑問の色が浮かぶ。彼女の異変に気が付いたのだった。
「随分と痩せたようだが……? 何かあったのか?」
 気心の知れた相手に心配を掛けるのは心苦しくてならなかった。彼女は視線を伏せてしまう。
「えぇ……。まぁ、その……何て言ったら良いかしら……」
 一から十まで口にするなど考えたくもなかった。彼女は曖昧な回答に留めようとする。
 ここは割って入るべきだろう。べロベルトはマフォクシーの耳元に口を寄せる。
「……レナードさん。その事だけど後でオイラの口から話すよ。今は聞かないであげて?」
「……む。分かった。お前さんの言う通りにしよう」
 やはり何かあったらしい。色々と察した彼は素直にべロベルトの言葉に従う。
 さぁ、次の話題だ。今度はオイラが質問しちゃおう。彼は二匹の耳に届く声で喋り掛ける。
「ところで……レナードさんはどこかに行った帰りかい? 凄い量の荷物だね?」
 長く立った耳の先端までそびえる巨大な背嚢を見上げるべロベルト。巨漢の彼でさえ背負えるかどうか不安になる程の大きさだった。
「あぁ、買い出しで北の街まで行って来たところだ。行きは身一つも同然だが、帰りはこれだからな。それで近道をしていたってワケさ」
 マフォクシーは背嚢に手を回しながら答える。
 街で暮らす彼の本職はビストロのオーナー。馴染みの客達の舌を唸らせるべく、ここ一番の食材を仕入れて回っていたのだった。
「あらら、レナードさんったらいけないんだ! そうやって皆オイラ達に食べられちゃうんだから!」
「俺は良いのさ。お前さん達の大便にされない程度には抜け目ないからな。ははっ!」
 囃し立てられるも右から左だった。マフォクシーは両手を腰に当てながら笑い飛ばす。
 近道の正体――それは森に住まう捕食者達が作り上げた獣道。街から街へ行き来するのに便利なそれは、時として捕食者達の胃袋へと続く滅びの道でもあった。
「あれ、ちょっと待てよ……?」
 少し変だぞ。べロベルトは視線を泳がせる。
「それにしては方向がおかしくないかい? こんな所を通る必要ないと思うんだけど……?」
 言葉の最後で首を傾げて見せるべロベルト。途端にマフォクシーはハッとした表情を覗かせる。
「おぉ、そうだ。忘れていた。お前さん達に聞くのが手っ取り早いかもしれん」
 彼はポンと手を叩いて見せる。
「道中で物凄い爆音を耳にしてな。土煙が上がるのも目に入ったものだから、気になって様子を見に来たんだ。この近くだったと思うんだが……お前さん達は何か知らないか?」
「あぁ、それなら……あの事かしら?」
 すかさず口を開いたのはジャローダだった。額に手を当てて辺りを見回し始めたマフォクシーに彼女は小さな手で湖の一角を指し示して見せる。
「なっ!? 奴は……!?」
 目の玉が飛び出るような光景だった。彼は背嚢も降ろさずに猛スピードで駆け始める。
「あっ、ちょっと! まだ話の続きが……!」
 呼び止める頃には湖畔に出てしまっていた。彼女は小さな溜息を漏らす。
「行っちゃったわ。追い掛けましょう」
「あ……うん。そうだね。行こうか」
 さっき行って帰って来たばかりなのに……。彼は暗澹たる気持ちで歩き始める。
 湖畔に繰り出した先にあったのは、大の字で横たわるオーダイルの真正面に腰を下ろし、背嚢もほっぽり出して興味津々で観察を続けるマフォクシーの姿だった。
「あ……あんな間近で……? どういう神経をしているのかしら……?」
「お……オイラもそう思う……」
 顔を見合わせる二匹。ある種の不気味さすら感じる光景だった。
 間もなくして目的地に辿り着いた二匹はマフォクシーの近くに整列する。オーダイルの首から上が見えない位置であることは言うまでもなかった。
「はぁっ、やっと追い付いた……」
 暑さのあまりに舌を垂らすべロベルト。引き掛けていた全身の汗もすっかり元通りだった。
「レナードさんは気持ち悪くならないんだね。やっつけておいた身でゲロゲロ吐いちゃったオイラとは大違いだよ」
 両耳が揺れると同時にマフォクシーの動きがピタリと止まる。首を回旋させた彼が見開いた目を向けて来たのは次の瞬間だった。
「いま何と言った?」
「え?」
 何か気に障ったのだろうか。直後、すっくと立ち上がって回れ右をした彼は大股でべロベルトとの距離を詰めて行き、そして――
「いま何と言ったかと聞いたんだ!」
「……ひっ!? きゅ、急にどうしたのさ!?」
 全身の毛を逆立てて両肩を鷲掴みにして来るマフォクシー。あまりの豹変ぶりにべロベルトは両手を挙げて縮み上がってしまう。
 早く答えなくては。べロベルトは震える口を開く。
「れ……レナードさんは気持ち悪くならないんだね、って……」
「違う!」
 マフォクシーは激しく首を左右に振るう。
「その後だ! その後に何と言った!?」
 数センチの距離にまで鼻面を近付けられたべロベルトは大きく体を仰け反らせる。
「や……やっつけておいた身で……」
「それだ!」
 より一層に声を大きくしてマフォクシーが叫ぶ。
「確かなのか!? 奴を殺ったのは……お前なのか!?」
 そりゃそうだ。もはやオイラが立ち上がる他なかったのだから。べロベルトは首を縦に振るう。
「う……うん。オイラで間違いないけど……?」
「な、なんてこった! 信じられん! お前さんが……奴を……!?」
 頭を抱えて一歩、二歩と後退るマフォクシー。彼は震える手でべロベルトを指差して見せる。
 その場に居合わせていなかったら私もそうなっていた事でしょうね。二匹のやり取りをつぶさに眺めていたジャローダは静かに口を開く。
「えっと、レナードさん? 彼の言葉だけど私が保証するわ。私……彼がアイツにトドメを刺す瞬間を見ていたの」
「なっ、なんと! それでは……間違いないのだな!?」
 もはや疑いの余地などあるまい。確かに彼が倒したのだ。マフォクシーは確信する。
「それならば、だ。お前さんに一つ言い置くべき事がある」
 マフォクシーは再び距離を詰め始める。また何かされるのだろうか。べロベルトの顔に緊張が走る。
「礼を言わせて貰う。ありがとう!」
 がっちりと腕を両手で包み込み、晴れやかな笑みを顔いっぱいに浮かべて感謝の意を伝えるマフォクシー。彼が目を点にしたのは言うまでもなかった。
「あ……あれ? えっと……オイラってレナードさんに何か良い事でもしたっけ?」
「あぁ、してくれたとも! それも俺だけじゃないぞ! 皆に対してだ!」
「えっ……それってどういう……?」
 話の筋が見えて来なかった。べロベルトの頭上に疑問符が浮かぶ。
「何が何だかって顔だな。良いだろう。教えてやる」
 手を離したマフォクシーは踵を返して歩き始める。行き着いた先は湖畔に横たわるオーダイルの真正面だった。
「こいつは……お尋ね者だ」
 潰れた顔を見下ろしながら吐き捨てるように言うマフォクシー。その表情からは激しい憎悪の感情が読んで取れた。
「な……何だって……!?」
 最悪だった。他にも犠牲者がいたのだ。べロベルトはショックを隠せない。
「でしょうね。そんな事だろうと思っていたわ」
 一方のジャローダは淡々とした反応だった。彼女は更に言葉を続ける。
「ここに来たのは追跡を振り切るためだったんでしょうね。で、ほとぼりが冷める頃合いを見計らって、また別の場所で悪事を働く気でいた、と」
 マフォクシーも同様の見解らしかった。彼は小さく頷いて見せる。
「あぁ、そう考えるのが自然だろう。身を隠すには打って付けの場所だからな。……いやはや、危機一髪とはこの事だ。こいつは知らなかったようだが……警察もギルドの連中も随分と前から追跡を諦めていたんだ。このまま野放しの状態が続いていたと思うと想像するだけで身の毛がよだつよ」
 今度はべロベルトが驚く番だった。たちまち彼は食って掛かる。
「ちょ……ちょっと待って!? おかしいでしょ、今の!? こんなにも悪い奴を何で諦めちゃうんだい!? 余計に被害が広がるだけじゃないか!」
「……俺だって同じ気持ちだったさ」
 悔しさを滲ませるマフォクシー。オーダイルに視線を移した彼の両拳が小刻みに震える。
「……三十三匹、こいつの討伐作戦で命を落とした警官の数だ。過去最大の犠牲者数と聞いている。あまりの被害の大きさに追跡を中止する他なかったんだ」
「さ……三十三匹だって!?」
 耳を疑う数字だった。べロベルトは咄嗟に聞き返す。
「してやられたわね。待ち伏せでも受けたのかしら?」
「鋭いな。その通りだ」
 直後、マフォクシーの眉間に三本線のシワが深々と刻まれる。
「それも奴を倒した後で受けたんだ。連中にとっては悪夢でしかなかったろうな」
「えっ……何それ? し……死んでから生き返ったってこと?」
 聞いたそばから震えが止まらなかった。べロベルトの声が一オクターブ高くなる。
「あぁ、それに近い事が起こったらしい」
 言いながらオーダイルの巨大な足の近くに腰を下ろすマフォクシー。いつの間にやら手には一本の小枝が携えられてあった。
「こいつだが特異体質でな。異常なまでに再生能力が高いんだ。恐らくは止めを刺し切れていなかったんだろう。引き揚げる最中に背後から追い付かれて……こうされたのさ」
 マフォクシーは首元に近付けた小枝の先端を横にスライドして見せる。
 思い当たる節のある話だった。べロベルトは初めてオーダイルを目にした時の事を思い出す。今となって思えば、追っ手と戦った直後だったのだろうか。全身に無数の生傷を負って足を引きずりながら歩いていた筈が、翌日には何事もなかったかのように完全に治っていたのである。
 そんな羨ましい限りの能力がどうしてこんな悪党に。つくづく不公平な世の中だ。彼は嘆かわしく思わずにはいられなかった。
「……今まで話半分だったが、ようやく信じる気になれたよ。これだけの傷を負って生きている事が何よりの証拠だからな」
「げっ!? まだ生きているの!?」
 飛び退くと同時に身構える二匹。そんな両者をマフォクシーは手を突き出して制止する。
「案ずるな。もう起き上がって来やせんよ。……既に虫の息だ。直に完全な死が訪れるだろう。ここばかりは元に戻しようがないからな」
 言葉の最後でマフォクシーは自身の頭をポンポンと小枝で叩いて見せた。
「ほっ……良かった……」
 一安心する二匹。両者の口から安堵の吐息が漏れる。
 そうは言っても気味の悪い話だった。べロベルトはマフォクシーに視線を戻す。
「ねぇ、レナードさん。お願いがあるんだけど」
「うん? どうした?」
 用事の途中で申し訳ないけど手伝って貰おう。べロベルトは決心する。
「そいつだけど……今から穴を掘って埋めようと思うんだ。少しだけ手を貸してくれる?」
「私からもお願い。さっさと終わらせてしまいたいの」
 ジャローダも後に続いた。
「何だ、お前さん達、埋める気でいるのか?」
 答えより先に返って来たのは驚きの言葉だった。マフォクシーは目をぱちくりさせる。
「え……そうだけど?」
 それ以外にどうしろと? 二匹は困った様子で顔を見合わせる。
「おやおや、山椒魚に蛇ともあろうものが意気地のない。これだけ大きな獲物を目の前にしてだぞ? ここに収めてやりたいとは思わないのか?」
 立ち上がった彼はお腹に手を当てて見せる。
「そりゃぁ……思うには思うけど……」
「無茶を言わないで頂戴。呑み込むどころか口にすら入らないわ。彼なんか尚更よ」
 諦めムードの二匹。肩を竦めたマフォクシーは深い溜息を漏らす。
「やれやれ、工夫に欠ける奴らだ。いや、貪欲さに欠けると言うべきかな。……まぁ良い。少し待っていろ」
 傍らの背嚢を起こして中を探り始めるマフォクシー。間もなくして引っ張り出されたのは箱型の書類鞄だった。
「……何それ?」
「ふふっ、今に分かるさ!」
 慣れた手つきでパチン、パチンと留め具を外し、地面の上で両開きにされた内側にズラリと並んであったのは――大小様々のナイフ、巨大なハサミと不気味に黒光りするノコギリ。見るもおぞましい凶器の数々にべロベルトは危うく腰を抜かし掛ける。
「……ひっ!? なっ、何て物を持ち歩いているのさ!? それで何するつもり!?」
「決まっているだろう? 解体するのさ。口に入らないのなら入る大きさに切り分けるまでだ」
 小枝に代わって右手に携えられたのは刃渡り一尺近い短刀だった。彼は平然とした様子で言い返す。
「あ……あぁっ! そうだ、その手があったんだ……!」
 怯えていたのが一転、べロベルトは興奮気味に独り言ちる。
 すっかり忘れていた。猟と料理のプロを目の前にしておきながら、せめて方法くらい思い付いても良かったものを。彼は己の鈍感さを恥じた。
「解体って……あなた用事の最中でしょう? こんな所で道草を食っていて良いの? それも私達のために手間取らせるなんて悪いわ」
 なりふり構っていられない状況ながら気の引ける話だった。ジャローダは呆れ半分で返す。
「別に構わんさ。店を開ける明日の夕方までに戻れば良いだけの話だからな。あと、一つ断っておくが、お前さん達のためだけじゃないぞ? 今朝から歩き詰めで腹が減っていてなぁ。ちょうど何か食べたいと思っていた頃だったんだ。こんな旨そうな肉の塊を見逃す手はあるまい?」
 言葉の最後でマフォクシーは口の前に短刀を持って行って見せる。
 二匹と同様、何でも食べて消化できる体のつくりに進化しているとは言え、彼も本質的には肉食獣だった。二匹の力になりたいと思う以上に、喰らって腹に収めてやりたい衝動を禁じ得なかったのだった。
「……ふふっ、今まで色々と食べては来たが、鰐の肉は初めてだ。はてさて、どう料理したものか?」
 倒れ伏す獲物に刀身をかざしながら不敵な笑みを浮かべるマフォクシー。えも言われぬ威圧感が彼の全身から放たれ始める。
 紛れもない捕食者の眼差しだった。近寄り難い雰囲気を感じ取った両名は一歩、二歩と後退る。気迫に圧倒されてしまう二匹であったが、直後に込み上げて来たのは感無量の喜びだった。
「あぁ、信じられない! こんなの一生に一度の幸運だわ!」
「うん、これで君もオイラもお腹いっぱいだ……!」
 二匹は体を寄せ合いながら期待に目を輝かせる。
「……あぁ、そうだ。お前達!」
 唐突に振り返って来るマフォクシー。二匹を奈落の底に突き落とす一言が掛けられたのは次の瞬間だった。
「悪いが手伝ってくれ。三匹で分担した方が早く捌けるだろうからな。なに、難しい事はないさ。俺の言う通りに動いてくれさえすれば良い」
「い……!?」
 一瞬で石にされてしまうべロベルトにジャローダ。効果は抜群だった。
「ぷっ、はははっ! 何て表情をしているんだ、お前達! 全て顔に書いてあるぞ!」
 これには大笑いせずにはいられなかった。片手を腰に当てた彼は更に続ける。
「……冗談だよ。この程度で吐いているような奴には無理だ。ここは俺に任せて、お前達は枯れ枝を集めておいてくれ。火を起こす必要があるからな。それじゃ、頼んだぞ!」
 笑顔で手を挙げて見せるマフォクシー。これ幸いとばかりに二匹は逃げるように退散する。
「はぁ、助かったぁ……」
「本当。息が止まるかと思ったわ……」
 木立の中に辿り着くなり崩れ落ちるように倒れ込む二匹。しかしながら休んでいる暇はなかった。べロベルトは一つ深呼吸して立ち上がる。
「……オイラ達も始めよっか。昨日の雨で濡れているだろうから、集めた枝は日当たりの良い場所に広げておく事にしよう」
 ジャローダも鎌首をもたげて起き上がる。
「えぇ、そうね。この天気ならすぐにでも乾くわ。それじゃ、お互い頑張りましょう」
 彼女の言葉を合図に作業に取り掛かった二匹であったが、そこら中に掃いて捨てるほど散らばっている枯れ枝を集めるなど朝飯前だった。瞬く間に十分な量を拾い集めた二匹は、それら一本一本を湖畔の焼け付く砂の上に敷き並べて作業を完了する。
「ふぅ! 終わったぁ!」
「えぇ! お疲れ様でした!」
 大きく伸びをするべロベルトにジャローダ。が、達成感に浸れたのも束の間、
「……そうだ、レナードさんは?」
「……まだみたい。しばらくは掛かるでしょうね」
「うぅ、だろうね……」
 気になったのはマフォクシーの動きだった。二匹の顔に険しい表情が浮かぶ。
 関わりたくない気持ちは山々だったが、額に汗する親友を尻目に休む訳にも行かない。あれこれ悩んだ挙句に二匹は一つの決断を下す。
「……行こう。オイラ達だけサボっていられないよ」
「……えぇ。こうなったらやるしかないわね」
 心を奮い立たせる二匹。間もなくして現場に到着した彼らは驚きをもって迎えられる。
「……おぉっ!? どういう風の吹き回しだ!? あんなに敬遠しておきながら見に来るとは!」
 もはや後戻りは出来なかった。二匹は持てる勇気を振り絞る。
「て……手伝いに来たんだ。こっちは片付いたからね」
「わっ、私も同じく! やっぱりレナードさん一匹には任せられないわ!」
 喜ばしい限りの言葉にマフォクシーは笑顔を隠せない。
「ほぉ、そいつは殊勝な心掛けだ! そういう事なら一つ頼ませて貰おう!」
 オイラ達なら大丈夫! 目配せを交わした二匹は伏せていた顔を上げる。
「こいつを洗うのを手伝ってくれ! いやぁ、これだけ大きいと捗らないものだ!」
 二匹の目に飛び込んで来た光景――それは胴体だけとなった獲物の内側から引っ張り出された中身を笑顔で持ち上げて見せるマフォクシーの姿だった。
「あ……」
「え……」
 無理なものは無理だった。あまりのグロテスクさに両者は一瞬で前後不覚に陥ってしまう。
「あぁ、もうだ……め……」
 先に限界を迎えたのはジャローダの方だった。強烈な目眩を覚えたと思う間もなく彼女は卒倒してしまう。
「ごぽっ……! うん、オイラも……だめ……みたい……」
 口から大量の泡を吹いたべロベルトも後に続く。頷くと同時に後ろ向きに倒れ込み、そのまま失神してしまうのだった。
「……おやおや、なんとまぁ!」
 驚きと失望の入り混じった表情を浮かべて二匹の顔を交互に見遣るマフォクシー。直後、がっくりと肩を落とした彼は、
「やれやれ、情けのない奴らめ。そんなのでよく今まで野生で生きて来られたものだな?」
 そう一言、二匹に毒吐くのだった。
19/04/23 02:08更新 / こまいぬ
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■作者メッセージ
長らくお待たせして申し訳ありませんでした。
キリの良い所まで書き進められたので投稿させて頂きます。

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