連載小説
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シーン4
 それから数分後、二匹の戦いは一方的な様相を呈していた。すなわちブラッキーが為す術なくベロリンガに攻撃、もとい舐め回され続けるという案の定の展開であった。
 果たしてベロリンガの不安は杞憂に過ぎなかった。ガッツを見せたブラッキーであったが、結局は立っているのがやっとの状態で、それ以上は何もできないレベルにまで麻痺が進んでしまっていたのだった。
「ほらほら、さっきまでの威勢はどこに行っちゃったんだい? オイラに舐められてばっかりじゃないか」
 ベロリンガにとっては生まれたてのシキジカを相手にバトルするようなものだった。彼は絶え間なく舌を動かして、新鮮な唾液をたっぷりと塗りたくりながら挑発して見せる。
「んぐっ……んああぁっ!」
 全身にまとわり付いた粘る唾液が体の動きを阻害する上、おまけに舐められる度に力が抜けてしまうものだから、ブラッキーは一向に攻撃のチャンスを掴むことができない。
「くっ、クソッ……! どうして……こんなにも体が痺れて……?」
 じりじりと後退させられ、今や洞窟の壁際まで追い詰められてしまったブラッキーの口から焦りと疑問の声が漏れる。そんな相手の反応にベロリンガは意外そうにして見せるのだった。
「あれ? 君ったら知らないのかい? オイラの唾液には麻痺させる成分が含まれていてね。舐められると電気タイプの技でも浴びたみたいにビリビリ痺れちゃうんだ」
 ベロリンガは舌の動きを止めて余裕たっぷりに語り始める。
「これが食事の時なんか本当に便利でね。暴れる獲物はベロベロ舐め回して動きを鈍らせるんだ。んで、無抵抗になったところを舌で絡め取って……ごっくん! 丸呑みにしちゃうのさ!」
 言葉に合わせてベロリンガは大きく喉を鳴らして唾液を飲み込んで見せる。このままの流れで行けばブラッキーに彼が言った通りの未来が待ち受けるのは単に時間の問題でしかなさそうだった。
「……ちぃっ!」
 舌打ちするブラッキーの体が僅かによろめく。既に気を抜き掛けてはいたものの、その瞬間をベロリンガは見逃さなかった。
「隙ありぃ! そーれ、ベロリンチョ!」
 ふざけた掛け声と共に、彼はバランスを崩したブラッキーの両前脚の間に舌を差し込み、彼の下顎に至るまでを舐め上げる。
「ひぎゃっ!」
 舐められると同時に吹っ飛ばされ、背中から壁に激突してしまったブラッキーの口から甲高い悲鳴が漏れる。そのまま彼の体は壁に弾かれ、床の上にドサリと崩れ落ちるのだった。
「くっ、くそぉっ……!」
 大の字になって横たわるブラッキーは表情を歪めて強く唇を噛み、悔しさのあまりに右の前足を床に強く打ち付ける。不意打ちを受けさえしなければ返り討ちに出来ていた筈の相手なだけに、体の自由が利かないことが何とも歯がゆかった。
 それとは対照的に、ベロリンガは二日連続となる特大の獲物を前にしてニタニタを止めることができない。大きく舌なめずりして下唇に何本もぶら下がっていた太い唾液の糸を一掃した後、彼はこれで最後になるだろう言葉をブラッキーに投げ掛ける。
「えへへっ、だいぶ体も痺れて来たみたいだし、そろそろ食べてあげるね! 君は食べ応えありそうだからオイラとっても嬉しいよ! それじゃあ……いっただっきまーす!」
 洞窟いっぱいに響き渡る程の大きな声で食事の挨拶を述べた後、ベロリンガは今や単なる生餌と化したブラッキーを食するべく、長い舌を伸ばして彼の胴体に巻き付ける――
「……と、言いたいところなんだけれどもね」
 と、思いきや、ベロリンガは相手の体に触れる寸前でピタリと舌の動きを止め、そのまま何も巻き取らずにクルクルとロールして行き、大口の中へと戻してしまうのだった。
「なっ……?」
 思いも寄らぬ行動にブラッキーは不思議そうにベロリンガの顔を見上げる。
 食べるのを諦めたのだろうか。そんな一縷の望みを抱いたブラッキーに対し、ベロリンガはこんなことを切り出して来る。
「さっきから思っていたんだけど、こんなの一方的なのも良いところだし、あっさり食べちゃうのも面白くないからね。君にハンデを付けてあげるよ」
「ハンデ……?」
 ブラッキーの呟きにベロリンガは首を大きく縦に振って見せる。
「そう。内容は簡単。この勝負だけど、君が降参するまでオイラに食べられないルールに変えちゃうんだ。もうこの際だから気長に付き合ってあげるよ。君の戦意が続く限りね。あと、今後は君の命にかかわるような攻撃を一切しないことも併せて誓うよ。まぁ、今までもして来なかったに等しいけどね。……とにかく、これから先の勝負の行方は君の意思によってのみ決まるようにするのさ」
 ここまで聞く限りでは圧倒的なアドバンテージがブラッキーに与えられるようだったが、残念ながらベロリンガの発言には続きがあった。
「……ただし、二つばかり付け加えさせて貰うよ。一つは逃げるの禁止。勝負の最中に相手に背中は見せられないでしょ? 逃げようとした場合も含めて即オイラの胃袋行きだから注意してね。それからもう一つ」
 こちらの方が今の彼にとっては重要だろう。ベロリンガは一テンポ置いてから続ける。
「君もご多分に漏れないと思うけど、オイラに舐め回され続けると最終的に脳ミソまで痺れてヘロヘロになっちゃうんだ。まともに意思表示すら出来なくなるレベルにね。そうなった場合は君の戦意がなくなったと見做して食べちゃうから、それも頭に入れておいてよ?」
 まぁ、その頃には自分が何されているかさえ分からない状態になっているだろうけどね。ベロリンガは心の中でそう付け加える。
「ハンデの内容は以上だよ。まぁ、要するに、君がグロッキーになるまで猶予期間をあげようってことさ。……どう? 悪い話でもないでしょ?」
 話の終わりでベロリンガは両腕を広げて見せる。見下し切った提案も良いところだったが、意外にもブラッキーは笑顔を見せ始める。
「……ふふっ。ははっ、ふはははっ!」
 痺れの影響で激しく痙攣する四肢を床の上に突き立て、ブラッキーは豪快な笑い声と共に体を起き上げる。
「……おっ、やる気になってくれたみたいだね! 感心、感心! 君の熱意に答えてオイラも頑張って相手してあげるよ!」
 嬉しそうに向き合ったベロリンガであったが、ブラッキーが笑顔でいたのはそれまでだった。直後、彼の表情は一瞬の内にして鬼神の如き形相に変貌する。
「舐めてんじゃねぇぞ、この野郎があぁぁっ!」
 怒号を浴びせると同時に、彼は両方の後ろ脚で壁面を力一杯に蹴ってクラウチングスタートの要領でベロリンガに躍り掛かる。鋭い牙を剥き出しにした彼が狙うは相手の喉首の一点だった。
 それは駄洒落で言っているのかい? ベロリンガが心の中で突っ込みを入れる頃、ブラッキーは裂けんばかりに口を縦に開き、この世のものとは思えない程に恐ろしい形相でベロリンガの喉元に噛み付きに掛かる。
 鮮やかな肉色で一色の口内、無数に並ぶ大小様々の尖った牙、洗濯板のように波打った上顎の内側――。ベロリンガが待ち望んでいたのはそれら全てが目の当たりになるその瞬間だった。噛み付かれる直前、舌による狙い澄ました突きが一閃、ブラッキーの喉奥を目掛けて放たれる。
 ――ズブリ。予想外の一撃にブラッキーは敢え無く喉の奥の奥まで貫かれてしまう。同時に速力も完全に削がれ、彼の体はピタリと空中で静止するのだった。
「んがっ……ぐごぉっ……!」
 目を白黒させながら反射的に吐き戻そうとするも、口と喉いっぱいに頬張ってしまったベロリンガの極太の舌はビクともしない。それどころか反対に押し戻され、喉の奥底までヌルリと挿入されてしまうのだった。
 このままでは首を吊ってしまい危険だ。そう判断したベロリンガは大急ぎでブラッキーの体を手繰り寄せ、たっぷりと脂肪の巻いた柔らかいお腹の上でギュッと抱擁する。
「えへへっ、残念でした! そう簡単には攻撃させてあげないよ!」
 至近距離で向き合ったベロリンガは笑い声を上げ、気道が塞がらない程度の深さまで舌を引き抜いてやる。
「……んーっ! んっ、んんーっ!」
 全力で体をくねらせて脱出を試みるも、既に全身はベロリンガの両腕の内側。どれだけ頑張ってみたところで悪あがきにもならなかった。声にならない叫びを上げ続けるブラッキーの両目の端で玉になった涙が輝きを放つ。
 こうなったら破れかぶれだ。ブラッキーはありったけの力を両顎に込め、侵入してきたベロリンガの舌を噛み千切りに掛かる。
「……おおっ、そう来るとはね! 面白いや! できるものならやってごらんよ!」
 舌に突き立てられる牙の感触で相手の意図を解したベロリンガが声を弾ませる。噛み千切られれば命を落としかねない状況にもかかわらず、彼は余裕の表情を崩さないばかりか、挑発さえして見せる。
 笑っていられるのも今の内だ。この一瞬でズタズタに引き裂いてくれる――。怒りを爆発させたブラッキーであったが、その思いは間もなくして裏切られる。どれだけ牙に力を込めてもズブズブと沈み込んで行くばかりで、ベロリンガの舌には文字通り歯が立たないのだった。
 何度やってみても結果は変わらず、ブラッキーにとってはゴムを噛んでいるような感覚だった。何から何まで自在にこなせる彼の舌の正体――それは刃物でも突き破ることが困難な、抜群の柔軟性と弾力性を誇る特殊な筋肉の塊だった。やがて顎を疲れ果てさせたブラッキーは、ろくに牙を食い込ませることすら出来なくなってしまう。
「えへへっ、もう終わりかい? こんなんじゃ歯形すら残らないよ?」
 薄ら笑いを浮かべながら嘲りの言葉を掛けるベロリンガ。一方のブラッキーは気まずそうに上目遣いでベロリンガの顔色を伺う他なかった。
「そろそろ攻守交替しようか。今度はオイラが攻撃する番だよ」
 耳元で囁かれた無慈悲な一言にブラッキーは大きく身震いする。この状況で攻撃をやり過ごすのは殆ど不可能と言って良かった。
 一体何をされてしまうのだろうか。ビクビクしながら相手の行動を待っていたブラッキーの顔面にぶつかって来たのは意外にもベロリンガの大きな溜め息だった。
「……と、言いたいところなんだけれどもね。二回目だよ、このセリフ」
 ベロリンガは呆れ切った表情でブラッキーの顔を見やり、更にこう続ける。
「さっきから気が付いていたけど、君ったら口の中ドン引きするレベルで臭くってオイラ萎えちゃうよ。まさかとは思うけど……こんな口でお嫁さんにチューするつもりだったんじゃないだろうね? 絶対に嫌われちゃうよ、君」
 言葉の最中でベロリンガは鼻をつまんで見せる。そんなことを気にしていられる状況にない筈のブラッキーであったが、彼は恥ずかしそうな表情を隠さなかった。
 このブラッキー、さては何か変な物でも食べたな。ベロリンガは推測する。
「普通に攻撃するのも面白くないし、この機会だからオイラが舐めて掃除してあげるね。……それじゃ、ちょっと失礼するよ」
 それが何か突き止めてやろう。ベロリンガはブラッキーの両頬に手を添えて少しだけ顔を傾け、相手の突き出た鼻先を自身の口元に密着させる。ブラッキーは両目をいっぱいに見開いて激しく抵抗する動きを見せたものの、ベロリンガは意に介さなかった。
 準備を整えた彼は、それまで差し込んでいるだけだった舌先を器用に動かし、口の奥から順に悪臭の原因を一掃しに掛かる。既に全身を余すところなく舐められていたブラッキーであったが、この期に及んで口の内側まで舐め回されてしまうのだった。
 自分とは姿も格好も似ても似つかぬ怪獣のポケモンに、それも、よりにもよって同性の相手に――。心が粉々に砕け散ってしまう程のショックを受けたブラッキーの両眼からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ち始める。何とか現状を打破しようと上下左右に舌を動かして必死に押し出そうと試みるも、それは比べるのが情けなくなってしまう程に小さくて薄べったい木の葉のような舌。間もなくして抵抗を察知したベロリンガの舌に根元から一巻きにされ、口の外まで引きずり出されてしまうのだった。
「えへへっ、捕まえた! オイラの邪魔をする悪い子はこの子だね!? 罰としてこのまま引っこ抜いちゃおうか?」
 悪意ある笑みを顔いっぱいに湛えたベロリンガは自身の舌を更に引っ込め、ブラッキーの舌をグイと引っ張りながら脅迫する。つられて顔まで前に引っ張られてしまったブラッキーは大慌てで首を左右に振るって見せるのだった。
「ははっ、冗談だよ。ここも綺麗にしてあげるね!」
 反応に満足したベロリンガは自身とブラッキーの舌とを相手の口の中に押し戻し、言葉通りに舌を巻き付けたまま前後に何回も扱いて舌苔を綺麗さっぱり根こそぎにしてしまう。おろし金のようにザラついた舌の表面も、全力の噛み付き攻撃を物ともしないベロリンガの舌の前では全くの無力だった。
「……よし、お次は牙だね! 沢山あるから骨が折れるだろうけど、一本ずつ丁寧にやっちゃうよ!」
 既に呆然自失となり掛けていたブラッキーとは対照的に、底抜けに明るい声で高らかに宣言した後、四本ある犬歯の内の一本に舌を這わせ始める。
「……うん?」
 何かに気が付いたのか、牙に触れた途端にベロリンガは舌の動きを止める。
 もしや――。とある推測を立てたベロリンガが舌先で牙の根元に触れた瞬間、疑念は確信へと変わる。
「……ははぁ、なるほどねぇ。そういうことだったのかぁ」
 今や涙でクシャクシャになった相手の顔を達観した目で見つめつつ、ベロリンガは意味深長なことを口にするのだった。
 疑問を解決したベロリンガは作業を再開し、当初に掲げた公約通りに一本ずつ丁寧にブラッキーの歯を掃除して行く。その間というもの、ブラッキーは口の中に大量の唾液を流し込まれ続ける羽目となった訳であるが、口を塞がれているも同然の今の状態で吐き出すことは叶わず、その大部分を飲まされてしまうのだった。
「……よし、これで全部終わり! お疲れ様でした!」
 やがて最後の一本を掃除し終えたベロリンガは、仕上げに舌先で唇の内側をぐるりと一周なぞってから舌を引き抜く。舌先で宙に円を描いて唾液の糸を絡め取り、両腕から力を抜くと、ブラッキーの体は自身の大きなお腹を伝ってズルズルとずり落ちて行くのだった。
 表面の付着物を何から何まで溶かし尽くされ、今やアイボリーの輝きを放つ純白の歯を手に入れたブラッキーであったが、その顔に笑みはなかった。彼は床の上に横たわるなり弾かれたような勢いで上体を起こし、突き出た鼻先を下向け、そして――
「ゔおえぇぇぇっ!」
 盛大に嘔吐くと同時に、それまで耐えて来た胃袋がひっくり返るような気持ち悪さを爆発させる。
「……ひゃあぁっ! んもー、汚いじゃないか! せめてオイラに一声掛けてからにしておくれよ!」
 あまりに理不尽が過ぎる台詞と同時にベロリンガは大慌てでその場から引き下がる。
 全てを吐き出してしまいたく思ったブラッキーであったが、残酷にも彼の喉奥からは何一つとして出て来ない。ベロリンガの唾液を大量に摂取した結果、食道も胃袋も麻痺してしまい、吐き戻す能力が完全に失われてしまったのだった。
 吐きたいのに吐けない――。それから数分の間、吐き気が落ち着くまで、彼はそんな地獄の苦しみと格闘し続けることになってしまうのだった。その間、ベロリンガが気を遣って一切の追い討ちを掛けずに待っていてくれたことが、彼にとって唯一の救いだった。
「ほらほら! いつまでも這いつくばってないでガッツ見せなきゃ! まだ勝負は続いているんだから! ……それ、ファイト、ファイト! オイラに食べられたくないんでしょ!」
 見るに見かねたベロリンガが背中をさすりに掛かるも、その手は一瞬の内に弾かれてしまう。
「フシャァァッ! 殺して……やる……! 殺してやらぁ!」
 威嚇された上に血走った目で真っ直ぐに睨み付けられてしまい、ベロリンガは思わず両手を高く上げて一歩引き下がる。
「……おお、怖い、怖い! その様子だと心配なさそうで安心したよ! ……んじゃ、続けてオイラのターンね!」
 背後に回り込んだベロリンガは、例のごとく相手の体を目掛けて舌を伸ばす。攻撃に気付いて回避行動を取ろうとするブラッキーであったが、もはや体が付いて来なかった。彼は呆気なく左側の後ろ脚を絡め取られてしまう。
「……しまった! チクショウ!」
「えへへっ、いったい何回しまえば気が済むんだい?」
 悪態を吐くブラッキーを煽って見せるベロリンガ。彼は相手の後ろ脚に巻き付けたまま舌を引っ込め、ブラッキーの体を自分の方へと引きずり始める。
「く……くそっ! こっ、今度はどうするつもりだ!?」
 両前足の全ての爪を床の上に突き立てたブラッキーが後ろのベロリンガを振り返りつつ叫ぶ。
「知りたいかい? じゃ、教えてあげる! ずばり、君をオイラの口の中に招待しちゃうのさ! さっきに君の口の中を堪能させて貰ったお礼にね! ……あ、君の口の中ほど臭くない自信はあるから、その辺りの心配は無用だよ、あははっ!」
 無邪気に答えて見せたベロリンガであったが、途端にブラッキーは顔を青ざめる。
「んなっ……! おっ、おい! 話が違うぞ! 俺が降参しない限り勝負を続けるって約束だったろうが! ……このっ、離しやがれ!」
 急にジタバタし始めたブラッキーにベロリンガは白け切った表情を送る。
「……ふぅん? さっきにオイラがハンデを持ち掛けてあげたらブチ切れて襲い掛かって来た割に、随分と都合の良いこと言っちゃうんだね、君。……良いよ、分かった。まだまだ戦う気力はあるみたいだけど、このまま君のこと食べてあげるよ。君の意見を尊重してね!」
 完全にヘソを曲げてしまったベロリンガが不機嫌な声を上げる。言い終えると同時に舌にグイと力を込め、彼はブラッキーの体を更に強い力で引き寄せに掛かる。
「……ああっ! よっ、止せ、待ってくれ! まだ俺は負けたなんて一言も言っちゃいねぇんだ!」
 精一杯の力を込めて踏ん張ろうとするも、片方の前足で三本、両前足で計六本の平行線を床面に刻みつつ、ブラッキーの体はどんどんとベロリンガの口元へ吸い寄せられて行く。
「……よく言うよ、全く。もう身動きすらままならない状態じゃないか。というワケでこの勝負、オイラの勝ちで決まりだね!」
 ベロリンガは耳を貸すことなく一方的に言い放つ。ブラッキーの体も順調に引きずり続け、とうとう口先まで数十センチメートルの距離まで漕ぎ着けてしまう。
「なっ、なぁ! 頼むからさ! ……わっ、悪かった、俺が悪かったよ! 提案は全て受け入れるから勝負を続けさせてくれ!」
 絶望の淵に立たされたブラッキーは堪らず懇願する。もはや何を言っても無駄かと思いきや、果たしてその一言を期にベロリンガの舌からグニャリと力が抜ける。
「悪かった、だって……? 本気でそう思っているのかい?」
 ぶすっとした顔つきでベロリンガが呟く。
「あっ、ああ! もちろんだ! この状況で嘘なんか吐いてどうする!?」
 嘘八百も良いところであったが、さも真剣そうにブラッキーは言って見せる。
「……だったら」
 ベロリンガは短く言葉を切る。
「オイラに言わなきゃいけない言葉ってあるよね?」
「はっ……?」
 ブラッキーはポカンとした表情を浮かべる。数秒の沈黙があった後、ベロリンガは腹の底から特大の溜め息を吐くのだった。
「君ったら本当につれない男だねぇ。悪いことをしておいて、謝ることも出来ないのかって話だよ」
「なっ……何で俺が……」
 突然の謝罪要求にブラッキーは面食らってしまう。
 どうして自分が謝らなければいけないのか。酷い目に遭わされているのは自分の方だと言うのに。ブラッキーは心底から怒りを煮えたぎらせる。
 だが、ここで奴の気の済むようにしなければ、何もかもが終わってしまう――。その現実に目を背ける訳に行かなかった彼は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍びつつ、怒りに震える口をゆっくりと開く。
「ごっ……ごめんなさい……」
「いいよ! 許してあげる!」
 面子もプライドも何もかも投げ捨てて絞り出された渾身の一言に、ベロリンガはニッコリと微笑んで見せた後、勝ち誇ったように言うのだった。
 ほっと胸をなで下ろすには、あまりに多くのモヤモヤした気持ちが胸の中に残っていたものの、ブラッキーは取り敢えず安堵する。……が、それも束の間、
「んじゃ、仲直りしたところでバトル再開と行こうか! ……それっ!」
「……ぬあぁぁっ! やっ、やめろぉ!」
 掛け声と共に舌に力を込められ、ブラッキーは恐怖のあまりに絶叫する。とどのつまり、謝ってみたところで彼が置かれている状況というのは、結末が少し遅れてやって来るか否かという点を除いて、何一つとして変わらないのだった。
「あははっ、そんな声出さなくっていいじゃない! 口の中に入れちゃうだけで、まだ食べやしないさ!」
 言いながらベロリンガは巻き付けた舌を捻ってブラッキーを仰向けにひっくり返し、爪で踏ん張られるのを封じると同時に、体が口の中に引きずり込まれて行く模様を嫌でも見えるようにしてしまう。
 さぁ、このギャーギャーと喚き散らすしか能がない毛玉をとっとと餌に変えてしまおう。そこでペッタリと腹這いの姿勢になったベロリンガは、持てる限りの力で舌を引っ込め、舌でグルグル巻きにしたブラッキーの後ろ脚を膝近くまで口の中に引きずり込んでしまう。
「ひあぁ……!」
 魔境に片脚を突っ込んでしまったブラッキーの顔に無数の縦線が入る。間もなくして右側の後ろ脚も尻尾もろともバクリと食われ、果たしてブラッキーは両後ろ脚を粘ついた空間の中に埋めてしまうのだった。
 ベロリンガは両手で二本の後ろ脚を一つに束ね、さながら棒付き飴でも楽しむかのように、プニッとした肉球の表面に舌を這わせ始める。
「……どうだい、オイラの口の中の感触は? 今からこの中に入れられて飴玉みたくベロベロ舐め転がされちゃうんだよ、君。情けないったらありゃしないよねぇ?」
「いゃっ……いゃだっ! そんなところ入りたくない! 入りたくない!」
 うんと細くした横目で相手の顔を眺めながら貶して見せるベロリンガ。一方のブラッキーは、散々に泣き腫らした両目に再び涙を溜め、ブンブンと激しく左右に首を振って抵抗の意思を表明する。
「えへへっ、そんなに嫌がらないで、君も今の内から体を慣らしておくが良いさ! なんたって、オイラの胃袋の中は最高にネバネバした場所だからね!」
 この期に及んで実力行使を伴わない抵抗は無意味だった。言いながらベロリンガはズルリ、ズルリと、麺料理でも食べるかのようにしてブラッキーの後ろ脚から上の部分を啜り取って行く。胸近くまでどっぷりと浸かってしまう頃、とうとうブラッキーは心を圧し折られてしまう。
「やだ、やだっ! やだやだやだやだぁっ! 入りたくないんだもぉぉん!」
 あまりのショックに幼児退行を起こしてしまったブラッキーは、つい先程まで見せていた攻撃的な振る舞いなど嘘であったかのように、駄々をこねる子供みたく前足でポカポカと床を打ちまくる。
「……プッ! あはっ、あははっ! ちょっと何言ってるか分かんないなぁ!」
 想像を遥かに上回る壊れぶりにベロリンガは吹き出し笑いを禁じ得なかった。そんな相手の反応をしばらく楽しんだ後、彼はブラッキーに止めを刺しに掛かる。
「よぉし、準備は良いかい? ……それじゃ、オイラの口の中へレッツゴー!」
 相も変わらず不真面目な掛け声と共に、ベロリンガは残る胸から上の部分を一挙に口の中へと引きずり込む。
「やだぁぁぁぁっっっ!」
 号泣しながら万歳の姿勢で吸い込まれて行くブラッキー。両方の前足が完全に口の中へ納められると同時に――
 バクンッ!
 今や唾液のプールと化していたベロリンガの大口が勢い良く、そして固く閉ざされ、彼の悲鳴は完全に呑み込まれてしまう。押し込められたブラッキーの全身に生温かく粘る感触がベットリと纏わりつく。それだけで今までに塗り付けられたのを遥かに上回る量の唾液に漬け込まれてしまった彼であるが、本番はここからだった。
 今宵の獲物を口いっぱいに頬張ったベロリンガは激しく舌を揺り動かして、ブラッキーの体を縦横無尽に舐め転がし始める。でんぐり返る度にフレッシュで濃厚な唾液が全身にねっとりと絡み付き、ブラッキーは今までにないペースで心身の自由を舐め溶かされて行く。
 少しでも自分の意思で体を動かそうものなら容赦ないお仕置きが待ち受けた。分厚い舌と上顎の肉でサンドイッチにされ、歯のない両顎でガブガブと噛み付かれ……おまけに体を舌に巻かれた上で口内に舌先をねじ込まれ、口の中で口の中をグチュグチュとほじくり回されてしまう。叫ぼうと少しでも口を開こうものなら、分泌腺から搾りたての喉越し爽やかな唾液をたっぷりと御馳走されてしまうのだった。
 オイラとっておきの舐め回し攻撃のお味はいかがかい? ブラッキーを蹂躙し続けながらベロリンガは心の中で呟く。これぞベロリンガの奥義、狙った獲物を体の芯まで痺れさせて鮮度抜群の生ける食肉に変えてしまう究極の技だった。この技を受けて彼の餌食にならずに済んだ者は――皆無だった。
 かれこれ舐め転がし続けること十五分近く、ぐったりしてピクリとも動かなくなった頃を見計らい、ベロリンガはその場にブラッキーを吐き出してやる。さながら餡掛け料理のようになったブラッキーの体は着地の弾みで一回転し、すっかり脱力し切った状態でうつ伏せに床の上で横たわる。
 ベロリンガは吐き出したブラッキーの頭の前でしゃがみ込み、だらりと力なく垂れるブラッキーの耳を片手で持ち上げる。そして、露わになった耳の穴に口元を近付け、
「……降参するかい?」
 そう一言、そっと囁く。
 承認すれば一巻の終わり、そうかと言って拒否したところで舐め回される時間が延びるだけなのは彼自身よく分かっている筈だ。回答には時間が掛かるだろう。そう判断したベロリンガは持ち上げていた耳を元に戻し、しゃがんだ姿勢のまま気長に待ち始める。が、依然としてブラッキーの体からは力が抜けたまま。そのまま返事が来る気配はなく、十秒、二十秒、三十秒経った辺りで少し困惑した様子のベロリンガが再び耳を持ち上げる。
「……おーい、無視しないでよ。と言うか起きてる、君? オイラに降参するのかしないのか、はっきりしなよ。返事しないのなら戦意がなくなったと見なすけど、それでも良いのかい?」
 言い終えるなり両手でブラッキーの体を激しく揺さぶるも、ベロリンガの手の動きに合わせて体が動くばかりだった。
「……えっ? 大丈夫……だよね……?」
 いよいよ不安になってしまったベロリンガはブラッキーの体から両手を離し、片方の手を相手の鼻先近くに恐る恐る差し伸べる。そのまま心の中でカウントしながら待つこと十秒近く、いつまで経っても手のひらに呼気が当たって来ない。
 ブラッキーは息をしていなかった。
「そんな……! うっ、嘘でしょ!?」
 衝撃の事実を前にベロリンガは尻餅をついて仰け反ってしまう。が、瞬時に立ち直ったベロリンガは大慌てでブラッキーの首根っこに両手で組み付いて、先程よりも一層に激しくブラッキーを揺すぶって見せる。
「ちょ……ちょっと! こんなので死んじゃうとかあり得ないでしょ!? 目を覚ましておくれよ!」
 必死に両腕を前後させるベロリンガであったが、さながら首が据わっていない赤ん坊のように、ガクガクと相手の首が上下するばかりだった。
「ええい! こうなったら……!」
 強い衝撃を与えて蘇生すべく、ベロリンガは首根っこから離した片手を大きく振りかぶる。
 ……が、次の瞬間だった。臨死状態にあった筈のブラッキーの両目がパチリと見開かれ、顔いっぱいに不敵な笑みが湛えられる。ベロリンガを出し抜くべく、彼は死んだフリをしていたのだった。
「ふえっ……!?」
 想定外の事態に思わずブラッキーの顔を見据えてしまうベロリンガであったが、それもブラッキーにとっては織り込み済みのこと。果たしてその瞬間にブラッキーの目論見は成就される。
「あやしいひかり!」
 掛け声と同時に両目が真紅に輝き、少し遅れて全身の黄色い輪っか模様がぼんやりと淡い光を放ち始める。一定の照度に達すると同時に輪っか模様は不規則な明滅を開始し、見る者を限りなく深い混沌へと誘う。
「う……うわーっ! めっ、目が! 目が回るぅぅぅぅ!」
 数秒も見れば効果は十分らしかった。間もなくしてベロリンガは両手で目を覆い、その場で派手にひっくり返ったかと思う間もなく床の上を転げ回り始める。
「……けっ、訳も分からず自分を攻撃してな! 大マヌケ!」
 このまま勝負を続けても喰われるだけだ。今の内に逃げてしまおう。床の上でのたうち回るベロリンガを尻目に、ブラッキーは何もかも捨て去って一目散に洞窟の出口を目指し始める。
17/12/18 00:09更新 / こまいぬ
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