連載小説
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シーン1
「あぁ……柳の下のドジョッチって諺は、きっとこういう事を指して言うんだろうなぁ……」
 夕暮れ時はとっくの昔に過ぎ去り、今や広大な樹海に夜の帳が確実に下りつつあった頃、ベロリンガは落胆の気持ちを全身という全身から滲み出させながら、自身の往来によって樹海の中に築き上げられた獣道を脱力し切った様子で歩いて行っていた。
 何歩か歩みを進める度に彼の口から漏れ出るため息が、彼の本日における狩りの成果を何よりも強く物語っていた。茂みの中に身を潜め、そして息を潜めながら自分の存在に気付かないまま目の前を通り過ぎようとする獲物に舌を絡ませる瞬間を、朝からほんのついさっきに至るまで待ち続けていた彼であったが……それは結局のところ、単なる待ちぼうけに終わってしまっていたのだった。
 彼が運に恵まれなかったのだと言ってしまえばそれまでなのだが、彼の今日一日における狩りの計画と戦略に欠陥があったという事も、これまた見過ごせない事実であった。
 このベロリンガであるが、どうも験を担ぐ習慣でもあるらしく、昨日に身を潜めていたのと全く同じ茂みの中に今日も同じように身を忍ばせ、そのまま一度もポイントを変更する事なく、こうして日が暮れてしまうまで獲物の到来を待ち続けていたのである。
しかしながら、ある方法で一度だけ良い結果を得たからと言って、その方法が二度も三度も通用するとは限らないのが世の常である。上手く行かないと感じたらキリの良い所でその方法に見切りをつけて、新たな方法を試してみるのが筋と言うものだが、彼は自らの幸運を過信するあまりにそれを怠ってしまったのだった。
「はぁ……」
 ベロリンガは力なく目を閉じ、今日の狩りを終えてから通算で十回目となる溜息をその口から漏らす。
 今日、自分の獲物となるポケモンはどんなポケモンだろうか? 捕まえた後はどのようにして獲物を弄び、そして胃袋に収めてしまおうか? 昼過ぎまではそんな期待に胸を膨らませていた彼であったが、日が傾いて行くのに比例して彼の期待は不安へと姿を変えて行き、今や深い落胆の気持ちに変わり果てたそれは、狩りを徒労に終えて、とぼとぼと家路を辿って行く彼の心にずっしりと重くのしかかっていた。
「……それにしても嫌な天気だなぁ」
 ふと足の動きを止めて空模様を見上げた彼は不安そうな声を漏らす。それもその筈で、午前中は快晴を維持していた空も、お昼を過ぎた辺りから徐々に陰りが見え始め、今やどんよりとした分厚い雨雲の層によって完全に支配されてしまっていたのである。
 空の様子を観察していた彼は、やがて雨雲の一部が瞬間的に白く淡い光を放つのを目撃してしまう。それから数秒が経った後、彼はゴロゴロという鈍い低音を耳にする事となった訳であるが……その音は彼の腹の虫が奏でるそれとは幾分か異なるものだった。
「やばいなぁ、雷まで鳴り始めたぞ。ちょっと急がないとまずいよね……」
 彼は空模様を観察するのを止め、小走りで帰り道を辿り始める。
 帰宅する前に降り始められる展開は是が非でも避けたい。下草を次々と踏み潰し、息を上げながら獣道を駆けて行く彼の頭にあったのはその思いだけだった。狩りに失敗した上、帰る途中で雨にまで打たれてしまうなんて、情けないにも程があった。
 しかし、つくづく不幸な事に、そんな彼の思いは狩り場からねぐらまでの道のりをまだ半分も辿らない内に粉砕される結果となってしまった。空から降り落ちて来た一滴の雨粒が彼の脳天に勢い良くぶつかって、ピシャリと弾け飛んだのである。
「……あっ」
 冷たい感触に思わず視線を上向けた瞬間、二滴、三滴と更なる雨滴が彼の額を打ち付ける。夕立に特有の非常に粒の大きい雨滴だった。
「うわ、降って来たぞ! ……くそ、せめて本降りになる前に!」
 そう言って全速力で駆け出した彼であるが、雨足は瞬く間に強くなって行き、あれよあれよという間にバケツをひっくり返したような大雨が彼を襲い始めた。
 雨滴の大きさは相変わらずのもので、地に落ちた雨粒が土の地面を深々とえぐるのが彼の目にもはっきりと見て取れた。あまりに粒が大きいものだから、彼自身も雨粒に打たれる度に僅かながら痛みを感じてしまう程だった。
 両手で頭を押さえつつ、視界が霞む程に激しい土砂降りの中を駆けていく彼は、半泣きになりながら自らの不運を嘆き始める。
「そんなぁ、勘弁してくれよぉ! ああっ! いったい今日のオイラはどれだけツイてないんだろう!? 泣きっ面にスピアーって言うのは、まさにこういう……」
 まだ完全に台詞を吐き終えていない彼であったが、彼の言葉はそこで立ち消えになってしまう。突如として視界を真っ白な閃光が覆い尽くしたため、彼は思わず言葉を失ってしまったのである。そしてその次の瞬間、間近で爆弾でも炸裂したかのような轟音が彼の両耳の鼓膜に突き刺さって来た。
「ひゃーっ!」
一時的ではあるものの、凄まじい閃光と轟音によって視覚と聴覚を同時に奪われた彼は、たちまち前後不覚に陥って前のめりに倒れ込んでしまう。
どうやらすぐ近くで落雷があったらしい。視界を真っ白く塗り潰され、酷い耳鳴り以外は一切聞こえなくなっていた彼であったが、何が起こったのかについては凡その察しが付いていた。
「う……あいたた……」
地面の上に倒れてから幾らか経った後、ようやく正常な感覚を取り戻した彼はいかにも恐る恐るといった調子で立ち上がる。心臓が飛び出てしまうのではないかと思える程のショックを受けたばかりの彼であるが、起き上がりざまに目にした光景に、またしても度肝を抜かれてしまう羽目となった。
「うわっ! う、嘘だろう!? き……木が真っ二つに……!?」
驚愕のあまりに腰を抜かしてしまった彼は、せっかく起き上がったにも関わらず、再び転倒して地面に尻餅をついてしまう。
いったい彼が何を目撃したのかと言えば、それはちょうど薪割りの要領で斧を入れられたかの如く、幹の先端部から根本付近に至るまでを左右にばっくりと裂かれてしまった一本の背の高い針葉樹の姿だった。
 どうやらそこが雷の落ちた現場であるらしい。彼が辿って来た獣道のすぐ脇に植わってあったそれは、落雷のショックで彼が倒れ込んだ場所――すなわち、いま彼が尻餅をついている地点から前方わずか十メートル足らずの場所に生えていた樹木だったのである。
 後、もう少しでも落雷のタイミングが遅れていれば――。考えただけで背筋が凍った。木に直撃した雷のとばっちりを受けて黒焦げになってしまう展開が待ち受けたに違いないのである。
 無数の雨粒が地面を穿つ音に混じり、雷鳴が絶え間なく聞こえるようになって来た。周囲と上空への視界の大部分は木々の枝葉によって遮られているため、雷が鳴っている場所は音で推測する他になかったが、遠く離れた場所に落ちていると思しきものは極めて少ない。再び至近距離に、もしくは自分の頭の上に落ちてしまうのも遠い未来の話ではなさそうだった。
「はっ、早く帰らないと……!」
 顔を真っ青にして辺りを見回していた彼は喉の奥から絞り出すような声で呟く。
 こんな場所で腰を抜かしていては感電死するのも時間の問題でしかない。並々ならぬ危機感を覚えた彼は、よろめきながらも足腰を立たせて立ち上がり、激しい雷雨の中を脇目も振らずに全速力で駆け始める。
 豪雨の影響で地面は既に酷くぬかるんでしまっており、走っている途中で何度も深い泥に足を取られて転倒してしまう。それでも転倒するたび猛スピードで起き上がって走り続けたものだから、すみかである洞窟の周辺まで辿り着くのにさしたる時間は掛からなかった。
「はぁっ……はっ……あともう少しで……!」
 今まで走ったこともない程の長距離を全速力で走り続けたため、既に彼の息は窒息してしまう寸前まで上がり、酷使され続けた全身の筋肉という筋肉は叫びを上げていたが、それでも彼の足の動きが一向に衰えずに済んでいたのは、落雷の恐怖から一刻も早く逃れたいという願望があったからに他ならない。中々に恰幅の良い体つきをした彼の事であるから、そうでもなければとっくの昔に立ち止まっていたに違いないのである。
 それまで延々と続いて来た緩やかな坂道を見事に登り切った所で、彼は深い森の木立の間を縫う形で走る平坦な道へと差し掛かって行った。ここまで来れば地元も地元である。彼の住居である洞窟は、ちょうどこの木立を抜けた所に位置しているのである。
 本当にあと少しだった。もう少しで落雷の恐怖から完全に逃げ切れる――。意識朦朧となりながらも走り続けていた彼であったが、そんな事を思った矢先に再び恐怖に見舞われてしまう。またしても彼のすぐ近くで落雷があったのだった。
 先程の落雷では完全に目潰しを食ってしまい、稲妻を目撃せずに終わってしまった彼であるが、今回は前方に広がる木立の中に真っ白い稲妻が突き刺さるのを確かに目撃した。これだけ深い森の木立に囲まれながらにして稲妻の全貌が目に入った訳だから、落雷の地点は遠めに見積もっても、彼が今いる場所から数十メートルたりとも離れていない場所に違いなかった。
「うわ!」
 強力なフラッシュでも焚かれたかのような閃光に思わず視線を伏せた直後、耳をつんざく雷鳴が衝撃を伴って彼の全身にぶつかってくる。流石に今度は転倒こそしなかったものの、彼は恐怖のあまりに足の動きを止めてしまい、両手で頭を抱えて姿勢を低くせざるを得なかった。
 今回も運良く怖い思いをしただけで済んでくれたが、次はどうなるか分かったものではない。こうしてツキを味方に付けられている内に何としてでも洞窟へ駆け込んでしまわねばなるまい。伏せていた視線を前方に戻した彼はそう心に強く念じ、既に極限の疲労を溜めていた体に鞭打って家までの道のりを再び走り始めたが……駆け始めてから数歩と進まない内に彼の足はピタリと止まってしまう。
 とは言っても、決して彼の走る気力が底を尽きてしまった訳ではないし、ましてや至近距離に落雷を受けた訳でもない。彼が立ち止まってしまったのはもっと他の理由からだった。誰かに背後から呼び止められてしまったのである。
「あっ、そこの方! お急ぎの所とお見受けしますが、少しだけお待ち願えませんか!? いきなり声をお掛けして申し訳ありません!」
 雨の音に混じって聞こえて来たのは、いかにも礼儀正しそうな若い男性の声だった。声が聞こえてくる位置からして、声の主はちょうど彼の背後に立っているらしい。
「ん、どちら様かな? ……ひっ!」
 相手の正体を確認すべく、真後ろを振り返ったベロリンガであったが、彼は途端に後ずさってしまう。
無理もない話だった。彼が振り向いた先に佇んでいた相手。それは深紅の目玉が何もない空中で左右に並ぶだけの存在だったのである。否、厳密には目玉だけでなかった。よくよく観察してみると、そんな目玉の位置から推測される相手の眉間辺りには、ドーナツ状の形をした黄色い輪がぼんやりと浮かび上がっていたものだから、いよいよその不気味さは際立っていた。
「だっ、誰なんだい!? きっ、君は!?」
 びっくり仰天しながら彼が尋ねると、目玉とドーナツ模様だけの相手は申し訳そうな色を目にいっぱいに浮かべながら謝罪の言葉を返して来る。
「ああっ、ごめんなさい! 驚かせる積もりなんてこれっぽっちも! えっと、その、とにかく本当にすみません! 暗い中で誰かと会う時はいつもこうなってしまうものでして……」
 その過程で相手の鼻と口の存在がベロリンガの目にも明らかとなったが、見えていないだけで顔や体自体はちゃんと存在しているらしい。どうも暗い中では目立たない体色をしたポケモンのようである。相手が決して異形の存在ではない事を知り、ベロリンガは幾分か落ち着きを取り戻す事に成功した。
「あ……なるほど。闇に紛れちゃって見えない訳だ。そういう事ならさ、もう少しだけオイラの傍に寄って貰ってもいい? 君の姿がちゃんとオイラの目に見えるようにね」
「えっと……あっ、はい! かっ、かしこまりました!」
 彼が再び目だけの存在に戻っていた相手に指示を出すと、相手は動揺した口調で了解の意を伝えて来る。二つの目玉がぐっと自分に近付くのと時を同じくして、相手の全身の輪郭線が暗がりの中から浮かび上がったのは、それから間もなくして起きた出来事だった。
「これで見えますでしょうか……?」
「うん、ばっちり! ええと、君は……」
 相手の自信に欠けた声とは裏腹に、既にベロリンガの視界には相手の全貌がくっきりと映り込んでいた。ほぼ全身が真っ黒い体毛に覆われた四足歩行のポケモンである。彼は相手の体の様々な部分に視線を送り、その身体的な特徴を見て回って行った。
 深紅の瞳は言わずもがな。スリムに引き締まった無駄のない体躯、レモンを縦方向に細長く引き延ばしたような形状をした大きな耳と尻尾、両耳と尻尾の先端部におでこの中央、そして四肢の付け根付近という全身の計八か所に配置された黄色いドーナツ状の形をした模様が特徴的なポケモンだった。
 このポケモンならば知っている――。既に目の前のポケモンの分類と名前を頭に思い浮かべる事に成功していた彼は、不安そうな表情を浮かべていた相手を視界の中央に見据えて口を開く。
「……げっこうポケモンのブラッキーだね?」
「ええ、そうです! 良かったぁ! 分かって頂けて何よりですよ!」
 やっとのことで自分の正体を理解して貰えたのが嬉しいようで、それまで心配そうにしていたブラッキーはその顔に笑みを浮かべて飛び上がらんばかりに喜んだ。
「……ええと、喜んでいる最中で申し訳ないんだけど、どういうご用件かな?」
 ベロリンガが手を頭にやりながら尋ねると、ブラッキーは真顔に戻った。
「……おっと、笑っている場合ではありませんでしたね。失礼しました。えっと……つかぬ事をお伺いしますが、この辺りにお住まいの方ですか?」
「うん、そうだけど?」
 ベロリンガが即座に首を縦に振って応じると、ブラッキーは声を大きくして更に言葉を続けて来る。
「あの、でしたら! この近辺でどこか雨宿りに適した場所をご存じありませんでしょうか!? 普通の大雨ならば大木の下でも事足りますが、これだけ雷が鳴っていては危険が過ぎるものでして……。その、つまりですね、例えば……」
「ああ、それなら良い場所を紹介してあげよっか?」
 まだ相手が話している途中であったが、ベロリンガは口を挟んだ。
「オイラの家なんてどうかなぁ? 洞窟の中だから雷に打たれる心配もないよ?」
 まさかそんな場所で雨宿りさせて貰えるなどとは夢にも思っていなかったらしい。ベロリンガの言葉にブラッキーは目を丸くする。
「えっ、あなたのご自宅ですか!? えっと、その、本当によろしいのですか? お気遣いには感謝しますが……あなたやご家族の方々の迷惑になるのでは……?」
 言葉の途中でブラッキーは語調を弱め、上目遣いにベロリンガの顔を見てくる。
 随分と遠慮深い性格をしているものである。彼の反応を見ていたベロリンガはそんな事を思わずにはいられなかった。
「いやいや、誰も迷惑なんてしないから遠慮しないで! ……実はオイラ独り身なんだ。だから……むしろ歓迎するよ! 君が家に来てくれたらオイラだって今晩は寂しい思いをしないで済む訳だしね!」
 ベロリンガは自身の顔の前で手を何度も左右に振って見せた後、にこやかな表情を浮かべながら言った。
「あっ、ありがとうございます! そういう事でしたらお言葉に甘えさせて頂きます!」
「うん、そう来なくちゃ!」
ブラッキーがぺこりと頭を下げてお辞儀すると、ベロリンガは満足げに首を大きく縦に振って見せた。彼はその後でブラッキーに背を向け、背中越しに呼び掛ける。
「……さっ、こっちだよ! ちょっと走るけどいいかな?」
「はい! 大丈夫です!」
 ブラッキーはベロリンガの目を見ながら元気良く返して来た。
「オーケー! それじゃ、オイラに付いて来てね!」
 相手の反応を確認したベロリンガが首を前向けて大雨の中を駆け始めると、ブラッキーもその後に続いて行く。
定期的に視線を後ろにやって、ブラッキーがきちんと付いて来ているかを確認しながら走っていたベロリンガであったが、やがて前だけを見て走るようになってしまう。それまで演技に徹していた彼であったが、笑いたい衝動を抑え切れなくなってしまったのであった。
「くふふ……」
 前を向いて走り続けるベロリンガの顔には歪んだ笑みが浮かび上がり、やがて口元からは小さな笑い声が漏れたが、不幸にもそれは降りしきる雨の音と雷鳴に紛れてしまい、ブラッキーの耳に届く事はなかった。
 昨日に引き続いて今日も狩りは大成功である! ベロリンガは前を向いたまま長い舌の先で自身の口周りをヌルリと舐めずりつつ、思ってもみなかった獲物の到来に胸を高鳴らせるのだった。
17/12/17 21:31更新 / こまいぬ
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